今回は、「自分の頭で考える哲学的思考法」の3回目として、
「総合的に考察する方法」
についてお話しいたします。
※1回目から読む場合は、こちらの記事をご閲覧ください。
→「無知の知」はソクラテスの落胆だった? (自分の頭で考える哲学的思考法1)
*
前回の記事で、
「真の反ばく法」
についてお話しいたしました。
※未読の方はこちらをご参照ください。
→まけない議論のやり方 (自分の頭で考える哲学的思考法2)
そして、この「真の反ばく法」は重大な事実を浮き彫りにしました。
それは、
どんなに立派な主張であれ、
どんなに優れた理論であれ、
この世界のどんな事であれ、
かならずプラス面とマイナス面が存在する
どんなに優れた理論であれ、
この世界のどんな事であれ、
かならずプラス面とマイナス面が存在する
ということです。
この世のすべてのものは、相反する両極性によって成り立っているんですね。
そしてこの事実が、哲学的思考の基盤になります。
総合的に考える哲学的思考法
哲学者だった父は、
「哲学は総合学問だ」
と、よく語っていました。
哲学以外の学問は、分業的な専門分野です。
物理学では、物理の観点に徹した研究・考察をしています。
言語学者は、言語の観点に徹した研究・考察をしています。
歴史学者は、歴史の観点に徹した研究・考察をしています。
それぞれの分野が専門的に研究・考察をすることにより、各分野の発展がはやくなるという利点があります。
ですが、1分野の観点による考え方になるため、かたよりが生じたり、本質や道徳性を見失ってしまう可能性もあるんですね。
哲学は、分業的な専門学問ではありません。
哲学は、総合的な観点から研究・考察をする学問です。
ある分野の観点で「正しい」と結論づけたことをそのまま受け入れて「正しい」と判断してしまうのは、哲学的ではありません。
哲学は総合学問であり、全体思考です。
かならず相反する観点からも考察することが、哲学においては不可欠なんですね。
総合的に考える方法
なにかについて考察するときは、かならず相反する観点、
- 肯定要素(プラス面、賛成意見)
- 否定要素(マイナス面、反対意見)
その両面から検証します。
たとえば――
あなたは組織の一員として、
「集団の意思決定における『多数決』という方法」
について考える必要性が生じたとします。
この場合、あなたはまず、「多数決」の肯定要素(プラス面、賛成意見)について検証します。
- 多数派の意見の採用は、より多くの人の意見が採用されることを意味しており、民主主義的である
- 大多数の人々が支持している意見を採用することは、最大幸福原理(より多数の人が幸福になる選択肢が正しいという考え方)にかなっている
おおむね、このような肯定要素が考えられると思います。
この時点で、
「こういった利点があるのだから、多数決による決定は正しい」
という結論をくだしてはいけません。
それだと、全体的(総合的)に考えているとは言えないからです。
『哲学的思考』では、かならずその反対側――否定要素についても考察をします。
*
<否定要素を考察する方法 ①>
否定要素について考察をするもっともストレートな方法は、「対極側の肯定要素」に焦点をあてることです。
さきほどの『多数決』の例で言うと、「少数派」を支持する意見について検証するんですね。
さきほどは「多数派を肯定」という観点で考えましたので、今度は「少数派を肯定」という観点から、どんな意見がでるのかを考えます。
**********
少数派の意見が多数派の意見よりもおとっているという考え方は正しくない。むしろ、少数派のなかにこそ優れた意見がある。
なぜなら「新しい発想」というのはつねに少数派であり、また『天才』と呼ばれる人たちもつねに少数派だからである。
**********
おおむね、このような意見が考えられます。
これで、「多数派を肯定」と「少数派を肯定」という、相反する考え方が出そろいました。
この両面から考察して結論をだすこと――それが、哲学的思考(総合的思考)になります。
※結論の出し方については、次回お話しいたします。
<否定要素を考察する方法 ②>
より哲学的なやり方で、否定要素を考察します。
つまり、「真の反ばく法」を使うのです。
さきほどの『多数決』の例で言うと、
「もし多数決(多数派の意見)が全面的に正しいと仮定した場合、どのような問題や矛盾が生じるのだろうか?」
ということについて考えます。
**********
多数決の決定が全面的に正しいとした場合、
「多数派の意見のほうが『事実』と異なっている」
という可能性もあり得るのではないだろうか。
たとえば、ガリレオ・ガリレイは地動説(地球が太陽のまわりを動いているという説)を唱えたことによって、
天動説(地球を中心に天体がまわっているという説)を支持するカトリック教会の審問にかけられ、ガリレオの地動説は否定されたのだが……
多数決によって決定された「天動説」は、はたして正しかったのだろうか?
また、多数決によって「天動説」が正しいと決定したことによって、地球を中心に天体がまわりはじめたのだろうか?
答えはどちらも「否(いな)」である。
大多数の人が支持したからといって、「地球が太陽のまわりを動いている」という事実は変わらないのだ。
多数決による決定は『事実』をゆがめる可能性がある。
それがエスカレートすれば、集団心理による暴走を引きおこす可能性だってあるのだ。
**********
おおむね、このような反ばくが考えられると思います。
これで、「多数決の肯定要素」と「多数決の否定要素(多数決の矛盾)」という、相反する考え方が出そろいました。
この両面から考察して結論をだすこと――それが、哲学的思考(総合的思考)になります。
※結論の出し方については、次回お話しいたします。
哲学的に考えることで、あなた独自の考えが導きだされる
哲学では、肯定要素(プラス面)だけを見て「正しい」と結論づけたり、否定要素(マイナス面)だけを見て「まちがっている」と結論づけたりはしません。
かならず両方の観点から、総合的に考察を重ねます。
それが「哲学的思考」です。
*
いま、このお話を読んで、
「肯定側の主張にも、否定側の主張にも、それぞれに理(り)があるというのなら、『正しい意見』を判別することなんてできないんじゃないのか?」
そのように思った人もいるかもしれませんが――
そのとおりです(笑
「絶対的に正しい」というものを定義することはできません。
だからこそ『哲学』であり、「考える学問」なんですね。
「正しい」と定義できないものを、
あなた自身の考察によって、
あなた自身の結論をだす――
あなた自身の考察によって、
あなた自身の結論をだす――
それが、「あなたの哲学 = あなた独自の考え」になるからです。
次回は、
「(総合的考察の)結論のだし方」
についてお話しいたします。
次のお話を読む
※自分の頭で考える哲学的思考法
→「無知の知」はソクラテスの落胆だった? (1)
→まけない議論のやり方(2)
→総合的に考える方法①(3) 当記事
→総合的に考える方法②(4)
→弁証法でレベルアップする方法①(5)
→弁証法でレベルアップする方法②(6)
→本質を突き詰めていく思考法(7)
※この記事は、哲学者だった本条克明の父が、西洋哲学の知識のない本条克明にもわかるようにかみくだいて説明してくれた内容をほぼそのままお伝えしています。
「知識」としてではなく「人生で役立つ話」として哲学が語られています。「学問」ではなく「実践するための哲学」として語られた内容であることをご了承のうえご参考ください。
更新
2024年11月6日 ラベル「生き方・自己啓発」を追加。