2018年1月14日日曜日

辞書に載っている言葉が「正しい日本語」というわけではない


 辞書(国語辞典)に載っている言葉が、かならずしも「正しい日本語」というわけではありません。
 また、辞書に載っていない言葉は「正しくない日本語」というわけでもありません。

 国語や文章に精通している人にとっては当たり前のことなのですが、意外と誤解している人が多かったりするんですよね。


辞書に載っている言葉が「正しい日本語」という定義は成り立たない


 辞書に載っている言葉というのは、
「各分野の専門家に依頼して集めた原稿(言葉の説明)を編集したもの」
 なんですね。

 辞書に載っているのは、「その道の専門家に言葉の説明を書いてもらったもの」ですので、そこに書かれている説明は信用に値します。

 ですが、「正しい日本語」という基準に従って言葉を選んだり、説明をいれているわけではありません
「その分野の専門家」による判断であったり、編集者が選んだ言葉であったり、少なからず辞書作成にたずさわった人たちの主観(個人の考え)によって編集がおこなわれています

 ですので、「辞書に載っている言葉が正しい日本語であり、辞書に載っていない言葉がまちがった日本語」というわけではないんですね。


正しい日本語なんて存在しない


 そもそも、「正しい日本語」なんて存在しないんですよ。
 言葉というのは、時代とともに増えたり、意味が変わったりするものです。

 たとえば、
「同級生(どうきゅうせい)」
 という言葉は「同じ学級の生徒」、すなわち『クラスメート』という意味で使われていました。

 国語辞典の場合は、「同級」の項目のところにこう書かれていますね。

********
②同じ学級。「――生」
出典:『岩波国語辞典 第四版』 西尾 実、岩淵悦太郎、水谷静夫:編  岩波書店(1986年)
********

「同級のあとに『生』をつけたら、同級は『おなじクラス』の意味になる」
 と、辞書には書かれていますね。


 ですが、近年では「同級生」という言葉を、『同学年の者』や『同期生』や『同い年』という意味で使うことが多くなっています。

 これは、松坂大輔投手がプロ野球選手になったときに、松坂選手と同期(同学年)の選手をみな「松坂大輔の同級生」というふうに、テレビ局のアナウンサーがこぞって言いだしたことによって広まったことなのですが……

 現代では、「同級生」という言葉は『クラスメート』のほかに『同学年の生徒』という意味を持つようになりました。

 そのため、比較的最近に編纂された辞書の場合は……

********
同じ学級の生徒・学生。同じ学年の生徒・学生。
出典:『デジタル大辞林 for ATOK』 株式会社ジャストシステム(『大辞林』は三省堂が発行している国語辞典)
********

 後半部分に、「同じ学年の生徒・学生」と書かれています。
 現代の風潮に合わせて、意味を付け加えていますね。


 ですので、
「『同級生』という言葉は、辞書を引くと『クラスメート』という意味なのだから、同学年という意味で使うのはまちがい」
 ということは言えないんですね。
 載っていない言葉も、ほかの辞書には載っていたり、改訂されると今度は載っていたりするのですから。

 つまり、「正しい日本語なんて存在しない」ということなんですね。
 言葉の意味や使い方は移り変わるものであり、何が正しいかなんて誰にも定義できません。

 ですので、「辞書に載っている言葉が、絶対的に正しい日本語である」という論理は成り立たないんですね。


「美容院」と「美容室」どちらが正しい言葉か? 辞書で判断してはいけない


 もうひとつ、例を挙げましょう。

 ちまたでは「美容院(びよういん)」「美容室(びようしつ)」という、よく似た言葉が使われています。
 いったい、どちらが正しい言い方なのでしょう?

 その問いに対して、
『美容は辞書にでているが、『美容はでていない。だから『美容のほうが正しい言い方である」
 という解釈がネット上で広まっているようなのですが……

 この解釈は正しくありません。
 たまたま辞書を編集した人が「美容院」のほうを載せただけであって、「美容室」も正しい言い方です。
「美容院」「美容室」も、完全なる同等――両方とも正しい日本語です。

 でね――

 もしあえて、正式(公的)な言い方を挙げるとしたら、
「美容所(びようしょ)」
 なんですね。
 法律(美容師法)で、「美容所」という名称が使われているからです。

 ところが、辞書を引いても「美容所」という言葉は載っていません。
「美容が掲載されているのに、法律で使われている公式名称の「美容は載っていません。

 辞書とは、そういうものなんですね。


辞書は「一般的な言葉の使い方」を確認するのに使い、最終的には自分で使い方を判断しよう


 辞書(国語辞典)にでている言葉が、かならずしも「正しい日本語」というわけではありません。
 ですが、その道の専門家によって書かれた説明ですので、書かれている内容は信用に値します。

 僕の場合は、小説で10代や20代の若者の登場人物を多く描いているので、登場人物の台詞(せりふ)を書きながら、
「ん? この言葉の使い方、本当は変だよな?」
 と気づいて、辞書を引くことがあります。

 辞書を引くと、やっぱり言葉の使い方がちがっていたりします。

 そして思う――
「辞書によれば、まちがった言葉の使い方なんだから、この言いまわしは避けるべきか……」
「でも、実際に若者はこういう言い方をするんだし、きっちりした言葉づかいをさせたらキャラがくずれてしまう……」
「んんん、どうしたものか……?」

 そんな感じで、たびたび悩んでます(笑

 といっても、最終的には、
「辞書にどう書いてあろうと、実際に若者が使っている言葉づかいで書いたほうが、台詞まわしに面白味(おもしろみ)があるよな」
 そう判断して、辞書のほうはたいがい無視してますけどね(笑

 そんな感じで、僕の場合は「正しくない日本語」を使うときほど、辞書を引いて「一般的な言葉の使い方」を確認していたりします。


 辞書は、『言葉』を確認するための目安(めやす)として活用し、最終的には自分自身で使い方を判断するのが、賢い辞書の使い方だと言えます。

 辞書をより良く活用するための参考になさってみてください。