前回の記事で、「プロとは何か?」ということについてお話しいたしましたが――
※こちらをご参照ください。
→「ここぞ!」というときはプロ意識で ボクシング(スポーツ)におけるプロとは?
前回のお話では、「ボクシング(スポーツ)におけるプロ」について語っています。
作家などの創作活動における『プロ』の場合は、それとは異なる考え方が必要になります。
今回は、
「作家(小説家)における『プロ』とは?」
について、考えてみたいと思います。
作家の場合は『プロ』の定義がむずかしい
作家のようなクリエイティブな活動の場合は、『プロ』を定義することはたいへんむずかしいです。
ボクシングなどのスポーツの場合は、
「プロとしての資格やライセンスが与えられている者」
というわかりやすい定義があります。
ですが、作家のようなクリエイティブな活動の場合は、『プロ』という資格が与えられるわけではありません。
プロとお金――そこにプロとしてのスタンスがある?
単純な線引きとして、
「作品(創作物)によって収入を得ている者」
という定義が、ひとむかし前までは通用していました。
ですが、この線引きは現在では通用しなくなっています。
アマチュア作家でも同人誌やネット販売などで収入を得ることは可能ですし、現在では無料のコンテンツが増えているため職業作家であっても無料の作品を数多く提供しているからです。
また、副業として在宅ワークをやっている人のなかには、書籍を刊行しているプロの作家よりも稼いでいる人がいます。
収入を基準に判断したら、このケースでは『プロ』と『アマチュア』が逆転してしまいます。
とはいえ、プロとしてやっていくのであれば、
「自分が創作したものによって利益を得る」
というスタンス(立場、態度)は、くずさないほうが良いと思います。
依頼や案件を引き受けて書く場合は、相応のギャラを要求する――
個人で電子書籍などを刊行する場合は、有料で販売する――
自身が管理しているサイトには、広告を掲載するなどして収益が発生するようにする――
個人で電子書籍などを刊行する場合は、有料で販売する――
自身が管理しているサイトには、広告を掲載するなどして収益が発生するようにする――
やはりプロを名乗る以上は、なんらかのかたちで収益が発生するかたちをとるべきだと思います。
作品を無料で提供することがあっても、最終的にそれが収益につながる「無料」であるべきです。
というのも、現代では無料のコンテンツが氾濫し、小説やマンガなどの創作物が有料では読まれなくなってきているからです。
この世の中の流れに迎合(げいごう)せずに、
「タダでは書かない」
「自分のスキルや才能を安売りしない」
「私がつくりあげた作品には無限の富に値する価値がある」
そういった姿勢をつらぬいてこそ、「アマチュアとはちがう」と言えるのだと思います。
創作活動におけるプロとは何か? 第一線で活躍している人にもわからない
といっても、やはり収益の有無ではプロとアマチュアのちがいを明確にすることはできません。
アマチュアのなかにはプロ以上に稼いでいる人もいるので、収益では線引きできないからです。
創作における『プロ』とは、もっと内面的な部分にあるのだと思います。
*
『時をかける少女』
『サマーウォーズ』
『おおかみこどもの雨と雪』
『バケモノの子』
日本を代表するアニメーション映画監督の細田守(ほそだ まもる)監督は、2015年8月3日に放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)という番組のなかで、
「プロフェッショナルとは?」
という問いに、こう答えています。
**********
「え!? わかんないよ、そんなの。……俺は、プロフェッショナルなのかな?」「希望を灯(とも)す、魂の映画 アニメーション映画監督・細田守」
(『プロフェッショナル 仕事の流儀』 NHK)
**********
数多くのヒット作を手がけてきた細田守監督が「プロフェッショナルとは?」と問われて、
「わかんないよ、そんなの」
と答えています。
しかも、
「俺はプロフェッショナルなのかな?」
とまで言っています。
創作の世界における『プロ』とはなんなのか――第一線で活躍している人にもわかりません。
創作における『プロ』とは、そういうたぐいのものなんですね。
プロとアマチュアを分けるのは、やはり内面的な部分
つまるところ、創作の世界におけるプロというのは、
- プロフェッショナル(専門家)と言えるだけの技量があること
- 『プロ』としての意識があること
このふたつを合わせもっていることなんだと、僕は考えています。
一番目の、
「プロフェッショナル(専門家)と言えるだけの技量があること」
これについては、当たり前のことですよね。
でも、これだけでは『プロ』とは言えません。
実際、プロとして充分な技量と才能をもっていながら『プロ』としてやっていく自信がなくて、みずからを『アマチュア』や『セミプロ』と称してその地位にあまんじている人たちがいます。
このような人たちは、技量はプロとして充分でも、やはり『プロ』とは言えないと思います。
最終的に、作家などの創作の世界における『プロ』というのは、
本人の自覚――プロとしての意識と覚悟はあるのか
それにかかっているんだと思います。
作家と読者がおなじ感情でつながること(本条克明的プロ意識)
それじゃ、作家(創作活動)における「プロ意識」ってなんだろう?
……これについては、誰にも定義できません(苦笑
まずは『プロ』としての自覚があり、作家をライフワーク(一生をかけてやる仕事)にする覚悟があるということは、大前提だと思います。
でも、それ以上のもの――
作家としてのモラルというか心構えというかポリシーというか、そういった信念のようなものをもっていること――
それが「プロ意識」なのではないかと、僕は考えています。
参考までに、僕のプロ意識(プロの作家としての心構えや信念)はなんなのかと言うと……
↓こんな感じです(笑
創作をつづけていくうちに心がブレたりしないように、机の上のほうにずっとかかげてあるものです。
自分がおもしろいと思うもの――
自分がすばらしいと思うもの――
そのおもしろさ、すばらしさを読者に伝わるように表現する
それがプロの作家
自分がすばらしいと思うもの――
そのおもしろさ、すばらしさを読者に伝わるように表現する
それがプロの作家
これを書いたのは何年前だったのか忘れましたけど、僕なりに「作家におけるプロとは何か?」を熟考したすえにたどり着いた答えです。
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アマチュア作家に対する批評としてよく聞かれるのが、「作品が自己満足の世界で、読者のことが意識されていない」
というものだ。
そこから考えると、
「プロとは、読者を意識して書ける者」
ということになる。
それじゃ、読者を意識するってどういうことなんだろう?
読者に迎合したり、受けをねらって読者にこびるような作品を書く作家がプロなのか?
いいや、そんなはずはない。
実際、そういう作品が読者の支持を得ることはない。
読者が求めているのは、作家の主張や、作家の個性が感じられる作品だ。
つまりは、「作家の自発的な発想」によってつくられた作品でなければならない。
まずは、作家自身が「おもしろい」と思うもの、作家自身が「すばらしい」と思うもの、それを書かなければダメなんだ。
でもそれじゃ、アマチュアとおなじ自己満足の作品になってしまうのではないか?
……そうならないようにするためには、作家と読者を結ぶ何かがなければならない。
つまり、作家が「おもしろい」と思ってつくったものを、読者もおなじように「おもしろい」と思う――
作家が「すばらしい」と思ってそれをかたちにしたものを、読者もおなじように「すばらしい」と思う――
これができる者がプロの作家なのではないのか?
……だとすると、「表現」だ!
作品に込めた『想い』や『感動』を、読者に伝わるように表現する――
それを心がけ、それを成し得る者こそプロの作家なんだ!
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こんな思考プロセスのすえに、あの信条ができあがりました(笑
僕の場合は、
- まず自分が「おもしろい」、「すばらしい」、「価値がある」という感動をいだく
- 自分の感動を、表現力を駆使して読者に伝える
それを心がけることが「プロ意識」だと思っています。
プロとは何か? その答えは、作家独自の創作哲学
ここで語ったことは、あくまでも「本条克明の場合はこう考えている」というお話です。
というより、それ以外には語りようがありません。
創作の世界における『プロ』とは何か?
おそらく、作家の数だけちがう答えがあると思います。
そういう意味において「プロ意識」というのは、作家自身の『哲学』なんだと思います。
もしあなたがプロの作家を目指しているのなら、あなた自身で『プロ』について考え、あなた自身の答えを導きだしてください。
それはあなた独自の「プロ意識」であり、あなただけの『創作哲学』です。
その意識、その哲学が、あなたを本当の意味での『プロ』にしてくれくれます。
※こちらもご参考ください
→創作哲学(ラベル)
更新
2024年1月7日 記述を一部削除。
2024年12月22日 リンクを追加。