先日、ウチの猫たちが、列になって寝ていました。
いまはその中間の秋なので、「近づくけど、近づきすぎない」という距離感で位置どりをした結果なんでしょうね、きっと。
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鳥や魚は、群れになって行動します。
その群れの動きは整然としていて、まるでひとつの生命体であるかのように統率がとれています。
ですが、鳥や魚の群れにリーダーは存在しません。
集団を指揮するリーダーがいないのに、統率がしっかりととれているんですね。
これ、なぜだと思いますか?
個々が自由でありながら秩序のある集団
鳥や魚の群れにはリーダーがいないのに、統率がとれている――
このことは、長いこと謎とされてきました。
ですが、1970年代の日本に、この謎を解明したと思われる人があらわれます。
しかもその人は、動物の研究者ではありません。
ロボットの専門家です。
ページ内目次
群れをつくるロボット
東京工業大学名誉教授の森政弘(もり
まさひろ)先生は、ロボコン(ロボットコンテスト)の創始者として知られています。
日本のロボット工学のパイオニア(先駆者)ですね。
森政弘先生は、あるロボットを1975年の沖縄国際海洋博覧会に出展し、人々を驚かせます。
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「みつめむれつくり」は、森さんが1975年に製作した7体のロボットです。
それぞれが前方と左右に3つの赤外線センサーをもち、仲間を見つけると追いかけますが、50センチ以内には近寄らないようにプログラムされています。
すると興味深い現象が起こります。
ロボットは単体ではランダムな動きをしますが、集まりはじめると、まるで鳥や魚の群れのように列をつくります。
「みつめむれつくり」が先駆けとなった「自律分散制御システム」は、現在ではロボット工学の分野を超えて研究が進んでいます。
出典:『こころの時代 ~宗教・人生~ ふたつをひとつに―ロボットと仏教―』
NHK Eテレ 2019年6月30日放送
(番組内のナレーションより引用)
<参考動画>
※東京工業大学 様の動画(YouTube)
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「みつめむれつくり」と呼ばれる7体のロボットは、それぞれが自律していて、個々が自由に動いています。
この7体はまったくおなじものであり、このなかに全体を指揮するリーダーはいません。
にもかかわらず、このロボットたちは群れをつくり、統率のとれた動きをします。
まさに、鳥や魚の群れとおなじです。
なぜこのようなことが起こったのでしょう?
それは、ロボットたちにふたつのことがプログラムされているからです。
- 仲間を見つけたら、近づく
- 近づきすぎたら、はなれる
森先生は「近づく」と「はなれる」という正反対のことを1セットにしてプログラムしたんですね。
個々のロボットが「近づく」と「はなれる」を実行した結果、誰も指揮していないのに、統率のとれた群れができあがった――ということです。
鳥や魚の群れも、これと同様だと思われます。
対立するふたつをひとつに
森政弘先生は、ロボット工学の第一人者であると同時に、仏教思想の研究家でもあります。
森先生は、仏教の教えの核心は「二元性一原論(にげんせい・いちげんろん)」にあると説いています。
「二元性一原論」というのは、
対極にあるふたつのものは、対立しているのではなく、ひとつのものである
という考え方ですね。
そんな森先生だからこそ、「近づく」と「はなれる」を1セットにするという発想を思いついたのだと思います。
すごい人だよなぁ……。
まさに「現代の賢者(けんじゃ)」ですね。
適度な距離感が秩序を生む
近づいていくけど、近づきすぎないように、あるていど距離をとる――
これって、人間関係にも通ずることですよね。
人には「パーソナルスペース」と呼ばれるものがあります。
他人がはいると不快感をおぼえる自分の空間のことです。
人はみな、自分のまわりをパーソナルスペースで囲っているので、他人がそのなかにはいると、ストレスを感じて不快になります。
たとえ仲間や友だちであっても、近づきすぎてはいけません。
好意をしめして近づくけど、あるていど距離をとる――
それができたときには、たとえリーダーがいなくても、秩序がたもたれます。
鳥や魚の群れのように、おのおのが自由でありながら、全体の統率がとれている――
それこそが、理想的な秩序なのかもしれません。
物理的(肉体的)なことだけではなく、心理的な意味においても適度な距離は必要です。
やっぱり、「親しき仲にも礼儀あり」ですよね。
※関連しているお話
→「無用の用」のもっともわかりやすい説明
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