2024年10月15日火曜日

『努力』とは楽しいもの

 
できるようになりたい(能力を身につけたい)
達成したい(成功したい)

 そういった願望をいだいているのなら、相応(そうおう)の『努力』が必要です。
 何もせずに願望がかなったりはしません。
 望みをかなえるには、望みをかなえるための行動――すなわち『努力』が不可欠です。


 こういう話をすると、
「私は、努力が苦手(にがて)で……」
 と、『努力』という言葉に抵抗をしめす人も多いのですが……。

 それは『努力』というものを誤解しています。

 だって、『努力』って楽しいことなんですから(笑


苦しまずにできることが『努力』


 ページ内目次


本当の『努力』とは?


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 ただここで注意してほしいのは「努力と苦労は違う」ということだ。
 大好きな仕事に打ち込んでいる時、それは「努力」だが、イヤな仕事にしぶしぶ取り組んでいる時は「苦労」である。努力と苦労には、そういう違いがある。

出典:『成功者の習慣が身につく「超」心理術』
   内藤誼人:著
   東洋経済新報社(2007年)
(第一章の 6 三度のメシより仕事に惚れこめ より引用)
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 内藤誼人(ないとう よしひと)先生は、
「好きなことをやる = 努力」
「いやなことをやる = 苦労」
 という定義をしていますね。

 私も、全面的に同感です。

 私が言っている『努力』は、「いやなことをがまんしてやること」ではありません。
 私の考え方は、その逆です。
「いやなことや、つらくて苦しいことは、がんばってつづける必要はない」
 と、私は思っています。

 実際、仕事や、職場の人間関係で悩んでいる人と話をするときは、私は決まってこのようにアドバイスします。

「いまのままだとつらくて苦しいのなら、つづける必要はないよ。
 だって、考えてみなよ。
 いやなことをがまんしてつづける――そういうかたちでがんばるのと、『もっと自分に合った仕事や職場を根気よく探す』というかたちでがんばるのとでは、どっちが前向きながんばり方だと思う?」

 いやなこと、苦しいことをずっとつづけていたら、やがてそのストレス(負荷)に心が耐えられなくなります。
 本当の『努力』というのは、そういうことではありません。

好きだから、打ち込むことができる――

いやなことだったら、つらくて、投げだしたくなるような仕事量でも、楽しいから、難なくこなすことができる――

 それが、本当の『努力』です。
 つまり、
「本来であれば、苦痛を感じるようなきついことのはずなのに、(楽しいから)たくさんできてしまう」
 というたぐいのことです。

 好きなこと、楽しいことをやる――
 それが大前提です。
「つらいこと、苦しいことをがまんしてやる」とは、正反対です。

 それがわかると、『努力』が好きになってきませんか?(笑


あなたの課題を「好きで楽しいからやっている」に変えるには


 それが苦労(いやなことをがまんしてやっている)であれば、多くの量をこなすことはできません。
 ですが、それが努力(好きで楽しいからやっている)であれば、たくさんこなすことができます。
 人が見たら驚嘆するほど、ものすごい量をこなすことができます。

 仕事であれ、勉強であれ、練習であれ、あなたの課題をやることが『苦労』ではなく『努力』であるのなら、あなたはほかの人たちの何倍もがんばることができます

 そして努力家(好きで楽しいからやっている人)は、目標を達成し、願望を実現します。
 自分が望んだとおりの「幸せ」を、手にいれます。


 また、努力家というのは、達成までの途中で遭遇する苦労(つらく苦しいこと)も、「楽しい」の一部にとり込んでしまいます

 たとえば、作家などのクリエーティブ(創造的)な仕事の場合は、創作の過程で行き詰まることが多々あります。
 私なんか、しょっちゅうですよ。
 しっくりくる言葉が思い浮かばないために途中の一行で創作がとまってしまったりすると、ストレスを感じて苦しかったりするのですが……。

 そういったストレスや苦労もふくめて、創作活動が楽しくて、やめられないんですよね。
 作家なんて、そんなもんです(笑


 課題を努力(好きで楽しいからやっている)にするには、ちょっとしたコツがあります。

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<自発的であること>
 課題に対して「人にやらされている」という意識があると、やることが苦痛になります。
 そうなるとそれは『苦労』であり、『努力』ではありません。

『努力』には、自発的であることが不可欠です
 つまり、「やらされている」のではなく、
「自分の意志でやっている」
 という意識が重要だということです。

 たとえ人から命令された課題でも、「自分の意志でやっている」という気持ちになれたら、努力(楽しくやる)は可能です。

 人にやらされている課題を「自分の意志でやっている」に変換するには、
「目標を自分で再設定する」
 という方法が効果的です。

 たとえば、
「これを今日の16時までにやってくれ」
 と、上司から仕事を頼まれたとします。

 このときに、「仕事を押しつけられた」という気持ちだと、仕事をするのが苦痛になります。
 ですが、
「16時までか……だったら、それより1時間はやい15時までに仕上げてみせるぞ」
 といった感じで、自分で目標を設定し直した場合は、「自分が立てた目標に挑戦する」というかたちになるので、やらされているという気持ちが払拭(ふっしょく)されます。
 それは自発的な行動になるので、やることに楽しさを感じることができます。


<達成したときの喜びを意識する> 
 好きでやっていることでも、その過程ではうまくいかずに苦しい思いをすることがあります。
 すべてが順調にいくわけではないので、当然のことです。

 ですが、「達成したときの喜び」を意識すると、その苦労もまた「楽しい」の一部に変わります

 作家に対するジョークとして、
「作家は、書くことはきらいなくせに、書きあげたときの達成感は好きなんだ」
 ということが言われていたりしますが……。

 それはちょっとちがいます。
「書きあげたときの達成感」が好きだから、書くことがどんなにしんどくても、けっきょく最後まで書いてしまう――
 それが現実の作家ってもんです(笑

 作家にとって「書きあげたときの達成感」は、とほうもなく気持ちがいいです。
 だから、その過程で行き詰まりや苦労があっても、がんばってやりとげることができます。
 そして書きあげたあとは、創作過程で味わった苦労も、
「ああ、楽しかったなぁ」
 と実感します。

「達成したときの喜び」に意識がむいている人は、その過程で起こる苦労もまた「喜びの一部」に変えることができます。
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願いをかなえるには『努力』が必要――だから人生はおもしろい


 何もせずに願望がかなったりはしません。
 望みをかなえるには、望みをかなえるための行動――『努力』をしなくてはなりません。

 だからこそ、人生は味わい深いんですね。

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 努力もせずにどんな願いでもかなえられるとしたら、人は何も望まず、それを得ようと必死になることすらないだろう。それは呪うべき最悪の生き方である。

出典:『自助論』
   サミュエル・スマイルズ:著
   三笠書房 知的生きかた文庫(2002年)
(6章 2「無為の生活」がもたらす脅威 より引用)
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『努力』は、苦しむことではありません。
 本来であればつらく苦しいことも、苦痛を感じることなくやりとげることができる――それが『努力』です。

「困難なことをやりとげるための精神的なテクニック」
 という言い方もできます。

 そう思うと、『努力』が好きになってきませんか?(笑


 願望をかなえるためには、相応の『努力』が不可欠です。

 あなたの願望を実現し、あなたが望む「幸せ」を手にいれるための参考になさってみてください。


「努力」や「目標達成」に関するほかのお話



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