体調不良のため、一週間、更新ができませんでした。
予告なしに更新が途絶えましたことを、お詫び申しあげます。
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この一週間、安静を心がけ、ほとんどの時間を寝てすごしたのですが……。
現在は、打って変わって爽快な気分です(笑
病気や体調不良が回復したあとは以前よりも気分が良くなる――
これって、よくあることなんですね。
また、このようなことが起こると、
「本当はもとの水準にもどっただけなのに、いままでが苦しかったから、その対比で気分が良くなったように感じているだけだ」
と思われることが多いのですが……。
実際は、「苦しかったときの相対による錯覚」などではありません。
脳科学的な事実として、本当に脳が『快』になっているんですね。
人生『苦』があるのなら『楽』がある
ページ内目次
苦しかったあとに『快』になるメカニズム
苦しいことのあとは、気分が良くなる――
このようなことが起こるのは、脳のなかの『苦痛』と『快楽』を感じる場所がおなじだからです。
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―<上略>―神経科学者は快楽と苦痛を処理する脳部位が重複していることを確認した。苦痛と快楽は相反過程のメカニズムで処理される。言い換えれば、快楽と苦痛はシーソーのように動くのである。
出典:『ドーパミン中毒』
アンナ・レンブケ:著 恩蔵絢子:訳
新潮新書(2022年)
(第3章の 同じ場所で処理される快楽と苦痛 より引用)
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脳のなかで『苦』と『快』を感じる場所はおなじです。
つまり、『苦』と『快』をシーソーのように揺れ動くことで、バランスをとっているんですね。
このように平衡(へいこう)を保とうとする体の調整機能のことを「ホメオスタシス」と言います。
心身が「苦痛」を感じつづけると、ホメオスタシスが働いてバランスをとろうとします。
その作用によって、脳が一時的に「快楽」のほうにかたむくんですね。
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断続的に苦痛に晒されることによって、私たちの快楽と苦痛のシーソーが快楽の側に偏り、時間と共に苦痛を感じにくく、快楽を感じやすくさせるのである。
※同書 第7章の 冷水浴はなぜ気持ちがよくなるのか より引用。
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『苦』を味わうと、脳はドーパミンなどの幸福物質を放出し、『快』の側へかたむいていきます。
ランナーズ・ハイ――
不安が解消されたあとの解放感――
そういったことも、このメカニズムによるものです。
『苦』を受け入れることで幸福感を得る
『苦』を感じつづけていると、脳が『快』の側にかたむこうとするため、苦痛を感じにくくなり、幸福感がわきあがってきます。
これは、たいへん興味深い事実です。
ブッダ(お釈迦様)が「人生は苦である」と説いた真意――
宗教家が「苦行」と呼ばれるきびしい修行をする理由――
そういったことも、なんとなく見えてきますよね。
苦しいことから逃げずに立ち向かう人は、やがて『苦』を感じにくくなり、替わって『快』を感じるようになる――
なんとも逆説的な話ですよね。
また、『努力』の本質がここにあります。
みずから進んでハードなことに取り組む人は、苦痛ではなく、喜びを感じています。
好きなことだから、みずから進んでハードなことに取り組む
↓
ハードなことをやっているうちに、『苦』を感じにくくなる
↓
『苦』を感じにくくなっているので、もっとハードなことにも取り組むことができる
↓
とてもハードなことをやったので、大きな幸福感がやってくる
↓
大きな『快』を得られたので、それがもっと好きになる
努力家とは、その好循環を獲得している人なんですね。
『快』から『苦』へ移るケース
苦痛にひたることで快楽の側へとかたよるのなら、逆に『快』を感じつづけると、脳は『苦』のほうへかたむくのでは?
そんな疑問をいだいた人もいるかもしれませんが――
答えは「イエス」です。
脳はずっとおなじ快楽を味わいつづけることはできません。
その快楽は、やがて苦痛へと変化します。
薬物(アルコールや煙草を含む)によって快楽を得た場合は、特にそうです。
外部から快楽物質を取り込むことで強制的にドーパミンをだしたので、この不自然さのバランスをとるため、脳は苦痛の側へと大きくかたむきます。
その結果、ひどく気分が落ち込み、その苦痛からのがれるために、また薬物がほしくなります。
それがくり返されると、薬物は「快楽を得るもの」ではなく「苦痛をごまかすためのもの」となり、手放せなくなります。
「依存症」と呼ばれる状態です。
*
薬物ではない、健全な『快』の場合はどうなのでしょう?
好きなことをやっているときに得られる『快』は、健全な『快』です。
脳が「これをやりなさい」、「これを求めなさい」という合図として、ドーパミンなどの幸福物質をだしています。
ですが、これも『快』にとどまりつづけることはできません。
平衡にもどるか、『苦』の側にかたよるか、そのどちらかです。
創作で言うと――
作品を完成させたときは、達成感で満たされます。
この達成感は、とても大きな『快』です。
ですが、その『快』がいつまでもつづくわけではありません。
やがてもとの状態にもどります。
場合によっては、創作が終わってしまったことに対する喪失感やむなしさにさいなまれることもあります。
この場合の『快』から『苦』への変化は、肯定的なものだと言えます。
もし作品を完成させたときの喜びがいつまでもつづいたら、次の作品にとりかかろうという意欲がわいてきません。
作品を完成させたときの達成感は、とても気持ちよかった――
でも、その『快』はもう過ぎ去ってしまった――
だから、またあの達成感を得るために次の創作にとりかかる――
そのようにして『苦』と『快』が補い合いながら進歩していくことが、健全なかたちだと言えます。
苦しいことを喜びに変え、幸福感で満たされる生き方をするための参考になさってみてください。
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更新
2024年11月20日 リンクを追加。