「無用の用(むようのよう)」という言葉があります。
これは、
「役に立たないものが、じつは役に立っている」
という意味の言葉です。
なんのこっちゃ、と思った人もいるかもしれませんが……。
そうなんですよ。
これ、老荘思想のひとつなんですけど、『老子(ろうし)』や『荘子(そうじ)』というのはずっとそんな調子で、やたらと難解なんです。
私は大学生のときに中国思想を専攻していたのですが、この言葉に出会ったときは、ひたすら困惑しました。
「役に立たないものが、役に立っている……何を言ってるんだ!?」
言葉として完全に矛盾しているので、まったく理解できません。
書籍の解説を読んだり、大学の先生方の説明を聞いたりしたのですが、抽象的な理論ばかりでかえって混乱し、納得のいく答えは得られませんでした。
そんな感じで、学生のころからずっと謎が解(と)けずに、モヤモヤしたまますごしてきたのですが――
数年前に、とあるテレビ番組で「無用の用」をとてもわかりやすく説明している人がいました。
ものすごく驚きましたよ。
「無用の用」を理解する
「無用の用」は老荘思想のひとつであり、はっきりとこのことを記述しているのは『荘子』人間世(じんかんせい)篇です。
人皆知有用之用,而莫知無用之用也。
《人はみな「役に立つもの」が役に立つことは知っているが、「役に立たないもの」が役に立つことを知らない》
…………。
…………。
……どういうことか、わかります?
ページ内目次
もっともわかりやすい「無用の用」の説明
東京工業大学名誉教授の森政弘(もり
まさひろ)先生は、ロボコン(ロボットコンテスト)の発案者であり、日本のロボット工学の第一人者です。
2019年6月30日にNHK Eテレで放送された、
『こころの時代 ~宗教・人生~ ふたつをひとつに―ロボットと仏教―』
という番組のなかで、森先生はこのような話をされています。
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「刃物って言うと『切れるもの』と思っちゃうけど、そうじゃなくてね。
本当に切れるものならば――
(カッターナイフを分解して、カッターの刃だけを手に持って)
これだけあれば切れると思うの。
ところが、これでは切れないですよ。
これ持ってやったら自分の手、切っちゃいますから。
(分解したカッターをもとにもどし、カッターの外枠の部分を指して)
だから、この切れないものをここにくっつけておかないと、刃物として役に立たない」
※丸括弧のなかに森政弘先生の動作を補足説明として記載しています。
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カッターナイフは「物を切る道具」です。
そのため、「切れること」が求められているのですが――
その目的から言えば、このパーツ(部分)だけあればいいはずです。
物を切ることができるのは、このパーツだからです。
ですが、このパーツだけでは使うことができません。
手に持ったら、自分の手が切れてしまいます。
外枠(そとわく)のこのパーツは、物が切れません。
つまり、刃物の役割をはたしていないもの――刃物として役に立たないものです。
ですが、これがあると――
カッターナイフを手に持って使うことができます。
物が切れない部分(外枠)があるおかげで、「物を切る道具」として正常にあつかうことができます。
つまり、
「役に立たない部分が、役に立っている」
ということです。
まさしく、「無用の用」ですね。
※画像に使用したカッターナイフは、『オルファ(OLFA)カッター Aプラス
215B』(オルファ株式会社)です。
対極のものはひとつ――その考え方に答えがあった
森政弘先生は、ロボット工学のパイオニア(先駆者)であると同時に、仏教思想の研究家でもあります。
そして森先生は、仏教の教えは「二元性一原論(にげんせい・いちげんろん)」に核心があると説いています。
つまり、
「対極にあるふたつのものは、対立しているのではなく、ひとつのものである」
という考え方ですね。
上述のカッターナイフの説明も、森先生は「二元性一原論にかなったものは、日常にあふれている」という例として話されたのですが――
その内容は「無用の用」を完璧に説明していたので、テレビを観ていて感動してしまいました。
ずっと解けなかった謎がようやく解けた――
心のなかにあったモヤモヤが一瞬で晴れた――
そんな感覚にとらわれて、ものすごくスッキリしました(笑
*
役に立たないものが、役に立っている――
言葉として完全に矛盾しているので、「無用の用」を人に説明するのは容易なことではありません。
それを、こんなにもわかりやすく説明してみせた森政弘先生は、本当に「すごい!」と思います。
役に立たない人なんていない
「無用の用」は、人にもあてはまることだと思います。
自分や他人に対して、
「役に立たない」とか、
「使えない」とか、
そういった評価をくだすのは早計(そうけい)です。
役に立たない?
本当に?
それはおそらく、
「いまの環境や、いまの人間関係では、持っている能力や個性が発揮できていない」
ということだと思います。
ほかの環境に移ってみたり――
一緒にやる相手を代えてみたり――
そんなふうに組み合わせを変えてみたら、「役に立つ人」になる可能性はあると思います。
たとえその人自身に卓越した能力はなくても、カッターナイフの外枠のように、「欠かせない存在」になる可能性は大いにあると思います。
「役に立たないもの」はない――
「役に立たない人」はいない――
それを前提にしたら、「役に立たない」と言って切りすてたりせずに、「どうやって役立てるか」を考えるようになります。
もしかすると「無用の用」は、私たちをそのように導くための教えなのかもしれませんね。
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更新
2024年11月2日 文章表現を一部変更。