2018年2月23日金曜日

「好き」も、「愛してる」も、どんな言葉を使っても……


 僕が以前に運営していた『こんなこと、考えてるんだ』というサイトのなかで、
「『愛してる』は日本語のジレンマ(矛盾していることによるもどかしさ)」
 ということを書いたことがあります。

 その記事を書いたのは7年以上前――
 さすがに7年も経つと、考え方や価値観にも少し変化があらわれてきます。
 そのため、現在では「愛してる」という言葉に対する想いも当時とは少し異なっています。

 もちろん、いまでも「愛してる」は日本語のジレンマだと思ってはいるのですが……
 そのジレンマを、肯定的に受け入れられるようになりました(笑


「愛してる」は、日本語のジレンマ


 唐突(とうとつ)ですが、ちょっとお尋ねいたします。

 あなたは、「愛してる」って躊躇(ちゅうちょ)しないで言えますか?


 ……言える人って、あまりいませんよね。
 言ったら言ったで、かえって陳腐(ちんぷ)だったり、軽薄な印象を受けたりします。

「愛してる」は、日本語のジレンマ(矛盾していることによるもどかしさ)だと僕は思っています。

 いちばん相手に伝えたいこと――
 もっとも伝えなければいけない想い――

 それを、口にだすことができません。
 これって、やっぱりジレンマですよね。


 僕がこのジレンマに気づいたのは、恋愛小説を書くようになってからです。
「気づいた」というより「難題に突き当たった」といったほうがより正確です。
 想いをストレートに言葉にすることができないので、「愛してる」を使わずに表現しなくてはなりません。

「愛してる」に代わる言葉として「好き」という言葉を用いることが多くなるわけですが……
 でも「好き」は本来 love(ラブ) ではなく like(ライク) の意味で使う言葉です。
 この場合、前後の文脈で love の意味だと伝えることになるわけですが、やっぱりどことなく like のニュアンスがふくまれてしまいます。

「愛してる」という言葉があるのに使うことができません。
 やっぱりジレンマですよね、これ……。
 けっこう作家泣かせな問題です(苦笑

『こんなこと、考えてるんだ』より
(改訂しているため、当時のものとは少し異なっています)


「愛してる」という言葉が使えなくても関係ない


 上述が、7年前に公開した記事の内容です。
 当時の僕は、「愛してる」という言葉にジレンマを感じていました。

 ですが、最近ではもうこのジレンマで悩むことはなくなりました。

 言葉の専門家である作家がこんなことを言っては元も子もないのかもしれませんが……

 だって、
 本当の恋をしたら、
 「好き」も、
 「大好き」も、
 「愛してる」も、
 どんな言葉を使ったとしても、その愛しい想いを正確に言いあらわすことなんてできないのですから。


「好き」という言葉が曖昧だからこそ


 それに、「好き」という言葉が like なのか love なのか曖昧(あいまい)であることは、最近ではいいことのように感じています。

 いまはまだ love の気持ちを伝えるときではない――
 love の気持ちを伝えるのはなんだか気恥ずかしい――

 そんなときには、「好き」という言葉のなかにさりげなく love の想いを込めたりできます。

 その人が自分のために何かをしてくれたときに、感謝の言葉に添えて、
「またちょっと、好きになったよ」
 なんて冗談ぽく言って、 like の意味をよそおいながら「好き」という言葉に love の想いをさりげなく込めることだってできます。

 そして、相手から「好き」という言葉を受け取ったときには、それが like なのか love なのか、ハート(感情・感性)をとぎすまして感じとろうとします
 マインド(思考)による理解ではなく、ハートによって「好き」という言葉に込められた『想い』を無意識的に感じとろうとします。

 こういったことはみな、「好き」という言葉が曖昧だからこそですよね。


どんな言葉を使うかは重要ではない


「愛してる」という言葉がジレンマだからこそ、表現できる微妙な想いがあります。
 それがジレンマだからこそ、『愛』という感情が特別なものだと自覚することができます。

「好き」とか「愛してる」とか、どんな言葉を使うかは、それほど重要ではないんだと思います。
 だって、伝えようとしているのは、「言葉では言いあらわせないほどの想い」なんですから。

 大事なのは、
「言葉にできないほどの愛しさを、どれだけ言葉に込められるのか」
 それだけなんだと思います。