2018年5月11日金曜日

小説の「さし絵」を作成する (本条克明の場合)


 現在、作品をWEB小説として公開していますが――

こちらのサイトで公開しています。
月尾ボクシングジム物語(ボクシング関連の作品)
恋とは幸せなものなんだ(恋愛関連の作品)


 これらの小説作品には、自作のイラスト(さし絵)を挿入しています。

『罪や過ちは消せないのか?』より


 今回は、
「小説のさし絵」
 について、僕の見解をお話しいたします。


小説にさし絵は必要か?


 そもそも小説にさし絵は必要なのでしょうか?

 これについては、おそらく賛否両論だと思います。

 僕自身の考えは……

 じつを言うと、さし絵にはおもいっきり否定的だったりします(苦笑


「さし絵」は小説の魅力をうばう?


 小説を読む楽しさは、「自分でイメージができる」というところにあります。
 読者のひとりひとりが文章から自分なりのイメージを思い描く――その結果、読者の数だけちがったイメージの物語ができあがります。
 これって、すごいことですよね。

 ですが、絵で表現をしてしまうと、作り手のほうでイメージを提供することになります。
 そうなると、読者が自分でイメージをする余地がなくなってしまい、「文章からシーンを思い描く」という楽しみがうしなわれてしまいます。


 また、作家にとっても、さし絵があるのはあまり好ましくありません。
 小説家の務めは「言葉(文章)を使って表現すること」ですので、絵で表現をしてしまったら作家の仕事を果たせているとは言えないからです。

 ですので、僕自身はずっと「さし絵はないほうがいい」という考え方をしていたのですが――

 最近では、作中にさし絵をいれるようにしています。


それでも「さし絵」はあったほうがいい?


 自分の主義に反してさし絵をいれるようにしたのは、
「絵があったほうが、読者に喜ばれるから」
 というのがいちばんの理由です。

 僕の場合は、「中学生の国語力があれば読める」ということを意識して物語を書いていますので、若い世代の読者が必然的に多くなります。
 若い世代の読者に喜ばれるものにするには、文章だけの物語ではむずかしいものがあります。
 やっぱり『絵』を添えたほうが、若い世代の読者には読みやすく、わかりやすい小説になります。

 また、近年ではあまり本を読まず、「文章はネットの記事しか読まない」という人が増えてきています。
 ネットの記事にはたいがい画像が添えられていますので、「文章はもっぱらネット記事」という人たちも、文章だけの表現では作品に興味をもってはくれません。

 それらのことを考慮した結果、さし絵を挿入することにしました。

 要するに、
「作家のこだわりをとるか、読者への配慮をとるか」
 という葛藤(かっとう)のすえに、後者のほうを選んだということです(笑

 熟考したうえでの結論ですので自分の選択は正しかったと思っていますが、本音を言うと、ちょっと複雑な気持ちです。
「作家の仕事は文章で表現することなんだから、それを『絵』で表現しちゃダメじゃん」
 という思いが、やっぱり心のなかにありますからね……。


小説の「さし絵」にふさわしい絵とは?


 さし絵をいれると決めた(割り切った)ときに、
「小説にふさわしい『さし絵』とは、どういう絵なんだろう?」
 と僕なりに考えました。

 まず思ったのが、
「よくできすぎている絵や、個性的な絵は、さし絵にはふさわしくない」
 ということでした。

「よくできている絵」や「個性的な絵」というのは、本来であれば『いい絵』です。
 ですが、そういった絵はイメージがはっきりとできてしまっているので、イメージを確定してしまいます。
 そうなると「文章から自分でイメージする」という余地がなくなってしまい、小説の魅力をうばってしまいます。

 僕が考える理想のさし絵は「マンガのような記号的な絵」です。

 最近のマンガは高度な絵が一般的になっていますのでこのような言い方をするとマンガ家の先生方に対して失礼になるかもしれませんが、マンガの表現というのは基本的に『記号』です。

 たとえば、顔の真ん中に く の字や を書くと、それが『鼻』として表現されます。
 実際の人間の鼻は「く」でも「○」でもないのに、それが『鼻』として表現され、読者もそれを『鼻』であると認識します。
 これが「記号的な表現」です。

 こういった記号的表現は、イメージとして「できすぎていない」ので、読者が脳内で補完し、リアルなイメージに変換しなおす必要があります。
 つまり、作り手のほうで『絵』を提供しながらも、読者が自分でイメージをする余地を残すことができるのです。

 ですので、僕の場合は、
「よくできすぎていないこと」
「マンガのような記号的表現であること」
 それを意識して、さし絵を作成するようにしています。


「さし絵」にするシーンを選ぶ


 作中のどの部分をさし絵にすればいいのでしょうか?

 それに関しては、とうぜん「絵があったほうがいい場面」を選択することになります。

 僕の場合は、基本的に「さし絵は説明画像」だと思って作成しています。

絵があったほうがいい場面絵があったほうがわかりやすい場面

 という解釈で、さし絵にするシーンを選んでいます。


『スピードでパワーファイターに勝つ』という作品を電子書籍として公開したときには、24枚のさし絵がありました。

『スピードでパワーファイターに勝つ』は、『月尾ボクシングジム物語』のサイトで公開中です。
スピードでパワーファイターに勝つ 目次ページ


 ひとつの作品に24枚のさし絵は、異例と言える多さなのですが……

 この作品でさし絵の数が多くなってしまった理由は、さし絵にするシーンを「説明画像」として選んだからです。

 ボクシングの理論やテクニックについて描写しているシーンは、すでにあるていどボクシングに精通している人であれば、文章からイメージを鮮明に思い浮かべることができます。
 ですが、ボクシングを観た経験が少ない人だと、まったくイメージできない可能性があります。

 これが、小説(文章で表現する物語)の弱点なんですね。

 人は、いちども見たことがないものに関しては、言葉でいくら詳しく説明されても、正確にイメージすることができません
 ですので、それを『絵』で表現して補うのが、さし絵のもっともいい使い方だと僕は考えています。


『スピードでパワーファイターに勝つ』では、ボクシングのテクニックや理論を描写しているシーンに、「説明画像」としてさし絵をいれるようにしました。

 その結果――

 やたらと画像の枚数が多くなってしまいました(笑




 作成しているときは、
「ちょっと多すぎるかな……」
 と思いましたが、実際に文章のあいだにいれて読んでみると、割と自然で、でしゃばっているような感じは受けないもんですね。

 いまになってみると、「もっと多くてもよかったかな」と思う部分があったりするので――
 WEB小説として『月尾ボクシングジム物語』で公開する際には、もう少し多くなる予定です(笑


登場人物の絵は、最初に登場したときにだすほうがいい


 それと、登場人物のさし絵は、なるべく最初に登場したときにいれるようにしています。

 物語の中盤以降になってから登場人物の絵を提示すると、それまでに読者が「自分のイメージ」を確立してしまうので、「読者のイメージ」と「さし絵」のあいだにギャップができてしまいます。

 それを回避するために、僕の場合は、できるかぎり早い段階で登場人物の『絵』をいれるようにしています。
 ある意味、登場人物の「紹介画像」です(笑


『きみの微笑みが嬉しくて』より




 最初に登場したときに『絵』をいれる――
 というやり方をしているので、僕の作品では第一章にさし絵が多くなりがちだったりします(笑


「さし絵」が作品のイメージに――慎重に検討を


 僕の場合は、

  • 記号的な表現
  • さし絵にするシーンは『説明画像』を中心に選ぶ
  • 登場人物は、最初に登場したときに『紹介画像』を提示する

 ということを心がけて、さし絵を作成しています。

 さし絵によって登場人物や作品そのもののイメージが定着してしまう可能性がありますので、さし絵の作成は慎重に検討したうえでおこなわなければなりません。

 今回のお話はあくまでも「本条克明のさし絵理論」ではあるのですが、小説にさし絵を添えることを検討している方は参考になさってみてください。


更新
2018年10月10日 『スピードでパワーファイターに勝つ』、『罪や過ちは消せないのか?』へのリンクを追加。