人類はずっと、「世界の平和」を願ってきました。
しかし、21世紀になった現在も、世界平和は実現できていません。
世界平和どころか、世界の各地であらそいが絶えません。
中東情勢はいま、全面戦争に発展する可能性もあるほど、事態は緊迫しています。
何をやっているんだ、人類は……。
国同士であらそっていいのは、たったひとつだと言うのに――
世界平和へいたる道しるべ
「羊陸之交(羊陸の交わり)」という言葉があります。
この成語は、羊コ(ようこ)と陸抗(りくこう)という人物の故事によるものです。
※羊コの「コ」は、しめすへん(示)に古――環境依存文字(機種依存文字)であるため、カタカナで表記しています。
羊コと陸抗は、中国三国時代(三国志の時代)末期の人物です。
ふたりの関係は「敵国の将」なのですが、たがいに認め合い、敬意をいだき、信頼し合っていました。
このふたりのように、立場や偏見にとらわれることなく信頼し合うことを「羊陸の交わり」と言います。
ですが、史実の「羊陸の交わり」は、それにとどまりません。
さらに奥が深いです。
それこそ「世界平和へいたる道しるべ」と言えるほど、奥が深いです。
ページ内目次
為政者としての「羊陸の交わり」
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陸遜(りくそん)の子・陸抗は荊州(けいしゅう)方面の軍事指導者として晋や蜀の対応にあたった人物で、羊コは晋側の荊州の軍事責任者でした。
――<中略>――
陸抗は国境の守将たちに「相手が徳を行い、自分たちが酷(ひど)いことをやるのでは戦う前から負けている」と善政を奨励。
2人は競って善政を行い、荊州は余った食料があっても奪う者がないほど平和な土地になったといいます。
出典:『絶対に人に言いたくなる ろくでもない
三国志の話』
うどん:著 木志田コテツ:絵
KADOKAWA(2018年)
(呉13 呉の陸抗と晋の羊コは善政を競って荊州を平和にした より引用)
※ネット上で読みやすいように改行を増やして体裁(ていさい)を整えてあります。
※出典のルビ(ふりがな)の部分は、半角丸括弧を使って表現しています。また「酷い」の部分にも半角丸括弧で読み仮名を補足しています。
※出典の書籍では、羊コの「コ」を、しめすへん(示)に占で表記している部分もあります。
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この記述をはじめて読んだときは、鳥肌が立ちました。
国と国の為政者が、善政を競い合う――
人類の歴史上、そんなことが実際にあったなんて、本当に驚きましたよ。
そして、国同士で善政を競い合った結果、国が豊かになった――
犯罪をおかす者がいなくなるほど、国が豊かになった――
「ああ、なんてことだ!」
と、私は思いました。
「人類が求めていた答えが、ここにあるじゃないか! 羊コと陸抗のように世界の国々がこぞって善政を競い合ったら、世界平和は実現するじゃないか!」
世界はいま、何を競い合っているか?
国同士で競い合っていいのは、「善政」だけです。
ですが、いま、世界の国々は何を競い合っているのでしょう?
軍事力――
領土の拡大――
資源の奪い合い――
経済の勝ち負け――
なかでも戦争や報復合戦は、もっともおろかで低次なあらそいです。
もし、世界の国々が「善政を競い合う」ということをはじめたら、世界平和は実現すると思います。
つまり問題は、国家の――為政者のマインド(心)だということです。
善政をおこなうこと――
他国が先立って善政をおこなっていたら、すぐに自国でもはじめること――
国をおさめる政治家にそのマインドがあれば、具体的な政策はあとからついてきます。
各国の政治家にそのマインドがあれば、私たちの住むこの世界は、羊コと陸抗の時代の荊州のように、豊かで、平和になるはずです。
世界規模で、平和になるはずです。
国家だけではない――私たちひとりひとりが「善」を競い合えば、私たちひとりひとりが豊かで平和になる
このことは、個人レベルにもあてはまります。
善いおこない――善行を心がけましょう。
人の善いおこないを見たら、自分もまけないように、善いおこないをしましょう。
羊コと陸抗が善政を競い合ったように、善いことはどんどん競い合いましょう。
善政の競い合いで荊州が平和になったように、あなたの人生もまた、豊かで、平和になるはずですから――
2024年11月8日 リンクを追加。