小説にはリアリティが必要です。
リアリティがないと、
「これは小説ではなく、おとぎ話だ」
と言われてしまい、作品の評価をさげることになります。
実際、リアリティがない小説は、読んでいても物語の世界にはいっていくことができません。
ですので、小説にはリアリティが不可欠なのですが……
リアリティを言葉どおりの意味、
現実感
真実性
というふうにとらえると、創作の過程で行き詰まってしまう可能性があります。
小説というのは「つくり話」であり、本質的に「リアル(現実)」ではないからです。
そのため、「現実的な物語」をつくろうとすると、うまく話がつくれなかったり、おもしろい話にならなかったりして、行き詰まってしまうことがあるんですね。
小説を書くのであれば、「小説(物語)におけるリアリティ」について考え、自分なりの『答え』をだし、「つくり話」と「リアル」の矛盾を解消する必要があります。
物語(つくり話)におけるリアリティとは?
僕が小説を書きはじめたきっかけは、SF小説が好きだったからです。
当初は、SFやファンタジーばかりを書いていました。
そのため、僕の場合は比較的はやい段階で、
「リアリティ = 現実的」
という考え方はしなくなっていました。
だって、SFやファンタジーというジャンルは、
モチーフ(題材)
舞台となる世界
その時点でおもいっきり「非現実」ですからね(笑
※モチーフについては、こちらをご参考ください。
→小説のモチーフを得る (本条克明の小説作法1)
物語にリアリティをだす方法 (本条克明の場合)
以前に、ネット上で『可変人間サーガ』という異世界ファンタジー小説を公開していたことがあります。
※現在は公開していません。
この作品に、サニーシャという女性魔術師が登場します。
***
サニーシャは隠れ家に身をひそめる生活をしているのですが、養女であり愛弟子のティアが、街に行ったまま戻ってきません。魔術師サニーシャは、ティアの身に何かあったのではないかと不安になり、いても立ってもいられなくなります。
しかし、サニーシャには身を隠さなければならない事情があり、外にでることはできません。
サニーシャは、魔法占術をおこなってティアの安否を確かめようとします。
***
このシーンを、リアリティを考慮しないで書いたら、こんな感じになります。
**********
サニーシャは、はっとひらめいた。
「そうだ、あれを使おう!」
サニーシャは荷袋の中からカードのセットを取り出し、ティアがオカリナづくりに使っていたテーブルに着いた。
魔法陣の描かれたシートをテーブルの上に置き、下方に64枚のカードを横一列に並べる。
サニーシャは、呪文の詠唱(えいしょう)を始めた。
「……カードよ、わが愛弟子ティアについて真実を示せ」
サニーシャは呪文を唱え、魔術を発動させた。
並べられたカードの中から5枚、テーブルをすべるようにして列を抜け出していく。
5枚のカードは、それぞれ魔法陣の四方と中央に移動した。
「うまくいったようだ……」
※一般的に「魔法陣」は誤記であり「魔方陣」が正しいとされていますが、ファンタジー感をだすためにこの作品ではあえて「魔法陣」と表記しています。
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……これだと、小説としてのリアリティに欠けていますよね。
ですので、僕はこのシーンを、(↓)このように表現しました。
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サニーシャは、はっとひらめいた。
「そうだ、あれを使おう!」
サニーシャは荷袋の中からカードのセットを取り出し、ティアがオカリナづくりに使っていたテーブルに着いた。
魔法陣の描かれたシートをテーブルの上に置き、下方に64枚のカードを横一列に並べる。
これは「フルウィア・カード」と呼ばれているもので、『ノーフォーム聖伝』の逸話や伝承をモチーフにした絵がカードに記されている。
八霊導使(はち・れいどうし)のひとり聖フルウィアによって考案されたと伝えられており、占術の道具として魔術師に広く用いられていた。
サニーシャは、呪文の詠唱(えいしょう)を始めた。
魔術は一般に思われているような神秘的なものではない。もっと論理的で、根拠のあるものなのだ。
特定の言葉や文字、図形には特殊な現象を引き起こす力があることに先人(せんじん)たちは気づき、さまざまな実験の結果、その方法と効力を知った。
魔術とは、いわば発見と発明の集大成なのである。
ノーフォーム教が魔術を奨励している理由は、布教のために奇跡をおこなう必要があるからだった。
霊祖ムオンは数々の奇跡を起こしており、その逸話をもとに『ノーフォーム聖伝』は成り立っている。信者の心をつなぎとめるには神秘的な御業(みわざ)をおこなって見せなければならないのだ。
しかし、後世の聖職者たちに霊祖ムオンや八霊導使のような霊能力があるわけではない。
そのため、霊能力の代用として魔術が重宝(ちょうほう)されているのだった。
「……カードよ、わが愛弟子ティアについて真実を示せ」
サニーシャは呪文を唱え、魔術を発動させた。
並べられたカードの中から5枚、テーブルをすべるようにして列を抜け出していく。
5枚のカードは、それぞれ魔法陣の四方と中央に移動した。
「うまくいったようだ……」
※濃いブルーの文字で書かれているところがリアリティをだすための記述。
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もう、おわかりかと思いますが――
サニーシャがおこなう魔法占術にリアリティをだすために、
「物語世界における『魔術』についての説明」
を挿入しました。
そのほうが、「説得力」があるからです。
物語(つくり話)における『リアリティ』とは、「説得力」のことである
僕はそう考えており、その価値観にしたがって創作をしています。
作中で『魔術』という現実とかけ離れたことがおこなわれるときに、登場人物が当たり前のように魔術をおこない、それを当たり前のこととして描写していたのでは、説得力がありません。
ですが、
魔術の原理
魔術の歴史
魔術の社会的な立場と役割
これらのことを記述することで、登場人物がおこなう『魔術』に説得力が増します。
この「説得力」が、物語(つくり話)にリアリティを与えてくれるんですね。
そして、説得力をだすには、
「設定がしっかりしていること」
それが鍵になります。
作中で語られることがない部分についてもこまかく設定しておくと、作品のリアリティが増します。
その語られることのない設定が、作品の世界観を支えてくれるからです。
小説(物語)が「現実的」である必要はない
僕の場合はジャンルに関係なく、「説得力があること」を意識して物語をつくっています。
小説が「現実的」である必要はありません。
ぶっちゃけ、現実とおもいっきりかけ離れてたってかまわないんです。
そこに、「説得力」さえあれば――
*
今回のお話は一般論ではなく、あくまでも「本条克明のリアリティに対する考え方」ではあるのですが、よろしければ参考になさってみてください。
※プロット作成の注意点に関するほかのお話
→物語における『謎』のつくり方と、気をつけなければいけないこと
→「事実は小説よりも奇なり」は、小説家にとっては当たり前
※小説の設定については、こちらをご参考ください。
→小説の世界観・舞台を設定する (本条克明の小説作法2)
→小説のキャラクター(登場人物)を設定する (本条克明の小説作法3)
更新
2018年9月4日 関連している記事のリンクを追加。
2018年12月7日 文章表現を一部改訂。