小説などの物語では、「オッドアイ設定」のキャラクターが数多く見られます。
つまり、左右の瞳(虹彩)が異なった色をしているキャラクターですね。
今回は、物語における「オッドアイ設定」について、考察したいと思います。
物語の「オッドアイ設定」
オッド(odd)という言葉は、
「奇妙な」
「変な」
「片方ずつの」
という意味の英語です。
そして、オッドアイ(odd
eye)とは、左右の瞳(虹彩)が異なった色をしている目のことです。
人の瞳(虹彩)の色は、ブラウン、ブルー、グリーン、グレーが一般的です。
といっても、日本人(東洋人)の場合はダークブラウン(濃い茶色)がほとんどですので、多様性はあまりありません。
物語において、日本人の登場人物に「オッドアイ設定」をほどこす場合は、
「ダークブラウンと、ほかの色」
というかたちにすると、リアリティ(説得力)のある設定になると思います。
実際には、「オッドアイ設定」はファンタジーやSFで使われることが多いので、その場合は「日本人の目の色はブラウン」にこだわる必要はありません。
自由に色の設定をすることができます。
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登場人物に「オッドアイ」という言葉を使うのは正しくない?
もともと「オッドアイ」は動物に対して――おもに猫に対して使われてきた言葉です。
人の場合は、「虹彩異色症」や「ヘテロクロミア」という言い方をするのが一般的です。
※ヘテロクロミア(heterochromia)は略した言い方です。正式にはヘテロクロミア・オブ・アイリス(heterochromia
of iris)です。
ですが、小説やアニメなどの物語では、キャラクター(人物)に対して「オッドアイ」という言葉を使っているケースが数多く見られます。
それに対して、
「人に『オッドアイ』という言葉を使うのは正しくない」
と指摘する声もあります。
そういった声もあるので、創作をする側としては、
「人に対して『オッドアイ』を使うのは正しくないのだから、『オッドアイ』ではなく『虹彩異色症』や『ヘテロクロミア』という言葉を使ったほうがいいのだろうか……?」
と、頭をなやませる可能性があります。
私の見解としては、物語の場合は、人に対しても「オッドアイ」を使ってかまわないと思います。
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<理由1>
正式な名称とされている「虹彩異色症」や「ヘテロクロミア(・オブ・アイリス)」は、医学用語なんですね。
そのため、この言葉を使うと病気や疾患のように思われる可能性があります。
特に日本語の「虹彩異色症」は、「症」という字が最後にあるので、病気や疾患のような印象を与えやすいです。
ですが、虹彩異色症の多くは先天性のものであり、それは病気や疾患ではなく、生まれながらの個性です。
左右の瞳の色が異なるのは、病気でも異常でもなく、この人物の個性――
そのニュアンス(意味合い)を伝えるために、医学用語の「虹彩異色症」や「ヘテロクロミア」を使わずに、「オッドアイ」のほうを使う――
それは、物語の表現として「有り」だと思います。
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<理由2>
物語においては、人物に対して「オッドアイ」を使うのは、めずらしいことではありません。
これまでにも数多くこの言葉が使われてきたので、すでに一般化しており、認知されています。
そのため、「オッドアイ」という言葉をもちいるほうが、表現として伝わりやすいとさえ言えます。
また、医学用語の「虹彩異色症」や「ヘテロクロミア」よりも、「オッドアイ」のほうが堅(かた)さがなく、言葉の印象がライトです。
物語上の表現として、使いやすいと言えます。
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以上の理由により、物語においては、人物に対して「オッドアイ」を使って問題ないと思います。
ただ、気をつけなければいけない部分もあります。
「オッドアイ」は本来、動物(おもに猫)に対して使っていた言葉なので、差別表現だと思われるリスクがあるんですね。
揶揄(やゆ)したり、ばかにしたりするような描写――
人間性を否定したり、動物と比較するような描写――
そのような描写があったうえで「オッドアイ」という言葉を使うと、差別的な表現としてとらえられる可能性があります。
左右の瞳の色が異なることに対して否定的な描写をいれる場合は、特に注意をしなければいけません。
オッドアイ設定は、やってはいけないのか?
「オッドアイ設定」は、賛否両論です。
というのも、業界では、
「やってはいけない設定」
「オリジナリティのない設定」
と、みなしている人が多いからです。
そのように言われるようになった理由は、「オッドアイ設定」が横行したからです。
特に2000年代に、「オッドアイ設定」がものすごく多くなりました。
業界では、すでにこの設定に飽(あ)き飽きしているんですね。
ライトノベル業界では、「飽(あ)きられている」をとおり越して、「うんざりされている」という状態です。
ですので、ライトノベルで新人賞などの公募を考えている人は、この設定はさけたほうが賢明だと思います。
※作品をネット上で公開するなど、出版業界を介さない場合は、特に配慮する必要はありません。
私の個人的な見解としては、「オッドアイ設定」をしても、べつにかまわないと思います。
「やってはいけない設定」だとか、
「オリジナリティのない設定」だとか、
そんなことを気にする必要はないと思います。
キャラクターを「オッドアイ設定」にすることで、そのキャラクターが魅力的になるのなら、むしろやったほうが良いと思います。
ただ、単なるデザインとして「オッドアイ設定」をするのは、賛成できません。
「容姿の見栄(みば)えが良くなるから」という理由でキャラクターをオッドアイにするのは、さけるべきです。
小説などの物語というのは、ものすごく理屈っぽい世界です。
物語においては、すべてのことに理由がなければなりません。
「たまたまそうだから」では、通用しません。
すべてにおいて、ちゃんと筋(すじ)がとおっている必要があるんですね。
左右の瞳の色がちがう――
そんな特殊なキャラクターが登場したら、
「目の色がちがうことに、何か意味があるにちがいない」
と、読者は思います。
目の肥えている読者ほど、そう思います。
物語の世界では、すべてのことに理由があることを知っているからです。
そのため、単なるデザイン(見た目)として「オッドアイ設定」をしてしまうと、「物語のつくり方がわかっていない」とみなされる可能性が高いです。
左右の瞳の色が異なる――そんな特殊な設定をしたからには、そこに特別な意味をもたせなければなりません。
目というのは、その人の『心』があらわれる部分です。
「目は心の窓」という言葉がありますが、心理学においても目は無意識があらわれる部分だと言っています。
目は『心』をあらわしています。
それも、無意識の部分――本心をあらわしています。
そんな重要なところを、「容姿の見栄えが良くなるから」という安易な考え方で設定をしてはいけません。
そのキャラクターの人間性が『目』にあらわれている――そういう設定をするべきです。
仏のような慈悲深さと、鬼のような残虐さ――
その二面性が目にあらわれている
といったように、ふたつの両極端な『心』があることをあらわしていたり、
陰と陽――
両方の精神性をそなえている
といったように、両極が一体化した完全性をあらわしていたり、設定には意味と説得力をもたせるべきです。
それをしっかりと心がければ、「オッドアイ設定」はキャラクターに個性と魅力を与えてくれると思います。
数多く使われてきたのは、良い設定の証
オッドアイは、「オリジナリティのない設定」と言われるほどすでに数多く見られる設定です。
ですが、それほど数多く使われるということは、
「日本人に好まれる設定」
という証拠でもあるんですね。
日本には「相手の目を見て話す」という習慣があり、日本人は『目』に対して敏感ですからね。
やっぱり、工夫しだいだと思います。
登場人物を設定するときの参考になさってみてください。
※キャラクター設定に関するほかのお話
※瞳の色に関するほかのお話
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更新
2024年10月15日 文章表現を一部修正。
2024年10月19日 文字の色拡張を一ヶ所修正。