2024年10月6日日曜日

物語の「オッドアイ設定」について

 
 小説などの物語では、「オッドアイ設定」のキャラクターが数多く見られます。
 つまり、左右の瞳(虹彩)が異なった色をしているキャラクターですね。


 今回は、物語における「オッドアイ設定」について、考察したいと思います。


物語の「オッドアイ設定」


 オッド(odd)という言葉は、
「奇妙な」
「変な」
「片方ずつの」
 という意味の英語です。

 そして、オッドアイ(odd eye)とは、左右の瞳(虹彩)が異なった色をしている目のことです。


 人の瞳(虹彩)の色は、ブラウンブルーグリーングレーが一般的です。
 といっても、日本人(東洋人)の場合はダークブラウン(濃い茶色)がほとんどですので、多様性はあまりありません。


 物語において、日本人の登場人物に「オッドアイ設定」をほどこす場合は、
「ダークブラウンと、ほかの色」
 というかたちにすると、リアリティ(説得力)のある設定になると思います。




 実際には、「オッドアイ設定」はファンタジーやSFで使われることが多いので、その場合は「日本人の目の色はブラウン」にこだわる必要はありません。
 自由に色の設定をすることができます。



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登場人物に「オッドアイ」という言葉を使うのは正しくない?


 もともと「オッドアイ」は動物に対して――おもに猫に対して使われてきた言葉です。


 人の場合は、「虹彩異色症」や「ヘテロクロミア」という言い方をするのが一般的です。
ヘテロクロミア(heterochromia)は略した言い方です。正式にはヘテロクロミア・オブ・アイリス(heterochromia of iris)です。


 ですが、小説やアニメなどの物語では、キャラクター(人物)に対して「オッドアイ」という言葉を使っているケースが数多く見られます。

  それに対して、
「人に『オッドアイ』という言葉を使うのは正しくない」
 と指摘する声もあります。

 そういった声もあるので、創作をする側としては、
「人に対して『オッドアイ』を使うのは正しくないのだから、『オッドアイ』ではなく『虹彩異色症』や『ヘテロクロミア』という言葉を使ったほうがいいのだろうか……?」
 と、頭をなやませる可能性があります。

 私の見解としては、物語の場合は、人に対しても「オッドアイ」を使ってかまわないと思います。

**********
<理由1>
 正式な名称とされている「虹彩異色症」や「ヘテロクロミア(・オブ・アイリス)」は、医学用語なんですね。
 そのため、この言葉を使うと病気や疾患のように思われる可能性があります。
 特に日本語の「虹彩異色症」は、「症」という字が最後にあるので、病気や疾患のような印象を与えやすいです。

 ですが、虹彩異色症の多くは先天性のものであり、それは病気や疾患ではなく、生まれながらの個性です。

左右の瞳の色が異なるのは、病気でも異常でもなく、この人物の個性――

そのニュアンス(意味合い)を伝えるために、医学用語の「虹彩異色症」や「ヘテロクロミア」を使わずに、「オッドアイ」のほうを使う――

 それは、物語の表現として「有り」だと思います。


<理由2>
 物語においては、人物に対して「オッドアイ」を使うのは、めずらしいことではありません。
 これまでにも数多くこの言葉が使われてきたので、すでに一般化しており、認知されています。
 そのため、「オッドアイ」という言葉をもちいるほうが、表現として伝わりやすいとさえ言えます。

 また、医学用語の「虹彩異色症」や「ヘテロクロミア」よりも、「オッドアイ」のほうが堅(かた)さがなく、言葉の印象がライトです。
 物語上の表現として、使いやすいと言えます。
**********


 以上の理由により、物語においては、人物に対して「オッドアイ」を使って問題ないと思います。

 ただ、気をつけなければいけない部分もあります。
「オッドアイ」は本来、動物(おもに猫)に対して使っていた言葉なので、差別表現だと思われるリスクがあるんですね。

揶揄(やゆ)したり、ばかにしたりするような描写――
人間性を否定したり、動物と比較するような描写――

 そのような描写があったうえで「オッドアイ」という言葉を使うと、差別的な表現としてとらえられる可能性があります。
 左右の瞳の色が異なることに対して否定的な描写をいれる場合は、特に注意をしなければいけません。


オッドアイ設定は、やってはいけないのか?


「オッドアイ設定」は、賛否両論です。

 というのも、業界では、
「やってはいけない設定」
「オリジナリティのない設定」
 と、みなしている人が多いからです。

 そのように言われるようになった理由は、「オッドアイ設定」が横行したからです。
 特に2000年代に、「オッドアイ設定」がものすごく多くなりました。

 業界では、すでにこの設定に飽(あ)き飽きしているんですね。

 ライトノベル業界では、「飽(あ)きられている」をとおり越して、「うんざりされている」という状態です。
 ですので、ライトノベルで新人賞などの公募を考えている人は、この設定はさけたほうが賢明だと思います。
作品をネット上で公開するなど、出版業界を介さない場合は、特に配慮する必要はありません。


 私の個人的な見解としては、「オッドアイ設定」をしても、べつにかまわないと思います。 

「やってはいけない設定」だとか、
「オリジナリティのない設定」だとか、
 そんなことを気にする必要はないと思います。
 キャラクターを「オッドアイ設定」にすることで、そのキャラクターが魅力的になるのなら、むしろやったほうが良いと思います。


 ただ、単なるデザインとして「オッドアイ設定」をするのは、賛成できません。
「容姿の見栄(みば)えが良くなるから」という理由でキャラクターをオッドアイにするのは、さけるべきです。

 小説などの物語というのは、ものすごく理屈っぽい世界です。
 物語においては、すべてのことに理由がなければなりません。
「たまたまそうだから」では、通用しません。
 すべてにおいて、ちゃんと筋(すじ)がとおっている必要があるんですね。

 左右の瞳の色がちがう――
 そんな特殊なキャラクターが登場したら、
「目の色がちがうことに、何か意味があるにちがいない」
 と、読者は思います。
 目の肥えている読者ほど、そう思います。
 物語の世界では、すべてのことに理由があることを知っているからです。

 そのため、単なるデザイン(見た目)として「オッドアイ設定」をしてしまうと、「物語のつくり方がわかっていない」とみなされる可能性が高いです。

 左右の瞳の色が異なる――そんな特殊な設定をしたからには、そこに特別な意味をもたせなければなりません。

 目というのは、その人の『心』があらわれる部分です。
「目は心の窓」という言葉がありますが、心理学においても目は無意識があらわれる部分だと言っています。

 目は『心』をあらわしています。
 それも、無意識の部分――本心をあらわしています。
 そんな重要なところを、「容姿の見栄えが良くなるから」という安易な考え方で設定をしてはいけません。

 そのキャラクターの人間性が『目』にあらわれている――そういう設定をするべきです。

仏のような慈悲深さと、鬼のような残虐さ――
その二面性が目にあらわれている

 といったように、ふたつの両極端な『心』があることをあらわしていたり、

陰と陽――
両方の精神性をそなえている

 といったように、両極が一体化した完全性をあらわしていたり、設定には意味と説得力をもたせるべきです。

 それをしっかりと心がければ、「オッドアイ設定」はキャラクターに個性と魅力を与えてくれると思います。


数多く使われてきたのは、良い設定の証


 オッドアイは、「オリジナリティのない設定」と言われるほどすでに数多く見られる設定です。

 ですが、それほど数多く使われるということは、
「日本人に好まれる設定」
 という証拠でもあるんですね。

 日本には「相手の目を見て話す」という習慣があり、日本人は『目』に対して敏感ですからね。

 やっぱり、工夫しだいだと思います。

 登場人物を設定するときの参考になさってみてください。


キャラクター設定に関するほかのお話

瞳の色に関するほかのお話

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更新
2024年10月15日 文章表現を一部修正。
2024年10月19日 文字の色拡張を一ヶ所修正。