子供の頃は、漫画が大好きでした。
それこそ、「大人になったら漫画家になりたい」と思っていたくらいに、漫画に傾倒(けいとう)していました。
ですが、高校生になったあたりから、漫画はあまり読まなくなりました。
小説や実用書を読む割合のほうが多くなったからです。
大人になってからは、漫画はほとんど読んでいません。
*
子供を育てる親の立場から、
「子供には、大人になっても漫画を読んでいるような人間にはなってほしくない。教養を高める活字の本を読む――そんな知識人になってほしい」
そのように考えている人もいるかと思います。
今回は、そのような人に参考になりそうなお話を。
成長のプロセス
私の父は、哲学者でした。
専門は、ヘーゲル哲学。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770年~1831年)はドイツの哲学者で、弁証法(べんしょうほう)――すなわち「進化のプロセス」を説いた人物として知られています。
いまから19年前の2005年に、父は亡くなりました。
私が子供だった頃、父は、本は好きなだけ買ってくれました。
父と一緒に出かけた場所で、もっとも多かったのが書店でした。
父のことを想うとき、
「よく一緒に、本屋に行ったよなぁ」
ということを、まっさきに思いだします(笑
この話を人にすると、よく誤解されます。
「やっぱりお父さんが大学教授をやるような哲学者だと、むずかしい活字の本しか買ってもらえなかったんですね」
と言われることが多々あるのですが……。
それは、ちがいます。
子供の頃にむずかしい活字本なんて、読んだことありません。
父に買ってもらった本のほとんどが、漫画でした。
ページ内目次
子供の頃に、好きなだけ漫画を読んだ
私が子供の頃、父は、好きなだけ本を買ってくれました。
活字本にかぎらず、
漫画でも、
雑誌でも、
図鑑でも、
絵本でも、
本であれば、なんでも、好きなだけ買ってくれました。
子供の頃の私は、漫画が好きでした。
特に『ドラえもん』が大好きで、将来は藤子不二雄(のちの藤子・F・不二雄)先生のような漫画家になりたいと思っていました。
そのような子供だったので、「ほしい本」と言えば、ことごとく漫画でした。
そして、私がほしがった漫画は、父がぜんぶ買ってくれました。
本といえば漫画――
漫画以外は、まったく読まない――
私の子供時代は、ずっとそんな感じでした。
高校生になると、漫画よりも活字本を読むようになった
高校生になったあたりから、私に変化があらわれました。
小さい頃からたくさん漫画を読んできたためか、漫画ではものたりなくなってきたんですね。
もっと読みごたえのあるものが読みたい――
私のマインド(心理)がその段階に移行し、小説や実用書などの活字本を読む割合が多くなりました。
私には兄がふたりいるのですが、次兄が日本史に精通していることもあって、家には歴史小説がたくさんありました。
兄から借りればタダで歴史小説が読める――そんな事情もあって、歴史小説をたくさん読むようになりました。
これがね、ものすごくおもしろかったんですよ(笑
特に司馬遼太郎(しば りょうたろう)先生と、池波正太郎(いけなみ
しょうたろう)先生の作品が好きで、夢中になりました。
歴史小説に夢中になったのは、10代後半という多感な時期にはいり、自分の「生き方」について答えを求めるようになったからだと思います。
歴史上の偉人のなかに、そのヒントがあるように思えたんですね。
それに関連して、この頃から自己啓発(じこけいはつ)関連の本を読むようになりました。
人生経験のない10代の若者に「生き方」がわかるはずもなく、その答えを書籍に求めたんですね。
そんな感じで、高校生になってからは小説や実用書(自己啓発書)を読むようになり、漫画はまったくと言っていいほど読まなくなりました。
哲学者の父は、かく語りき
私は大人になってから、
「子供の頃はあんなにも漫画ばかり読んでいたのに、いまではもう、活字本しか読まなくなった」
ということを、父に話したことがあります。
すると父は、笑みをたたえてこう言いました。
「そうなると思ったよ。――というより、そうなってほしくて、好きなだけ漫画を買ってあげたんだ」
父は、つづけて言います。
「大人になっても漫画を読むのをやめられない人というのは、子供の頃に、漫画が読みたいのに読ませてもらえなかったケースがほとんどなんだ。
漫画を読まない大人になってほしいから、子供に漫画を読ませない――その教育のしかたは、成長のプロセスというものがわかっていない。
人の成長にはプロセス――段階というものがあるんだ。
いきなり活字本を与えても、それでは子供は喜ばない。
読むことが楽しくないから、本そのものを読まない大人になってしまう。
子供は、読みやすい漫画を好むものなんだ。
だから、好きなだけ読ませてあげればいい。それは成長のプロセスとして必要なことだ。
そして、子供の頃から満足するまで漫画を読みつづけたら、いずれ漫画を読まなくなる――漫画よりも、もっと高度な本が読みたくなる。
その段階を経ることで、本を読む大人になる。
より深い知識と情報を与えてくれる『活字の本』を読む大人になる」
つまり、漫画ばかり読んでいた私が、ある時期から漫画ではなく活字本を読むようになったのは、父の思惑(おもわく)どおりだったということです。
完全にしてやられましたね。
まったく、哲学者というのは……
なんて頭がいいんだ(笑
プロセスどおり次の段階へ移行しなかった場合は
ところで――
父が実践(じっせん)した、
「好きなだけ漫画を与えることで、漫画を読むことから卒業させる」
というやり方には、ひとつ疑問が残ります。
それは、
「漫画を好きなだけ与えられたことで、ますます漫画に傾倒し、かえって漫画から卒業できない大人になってしまう可能性もあったのでは?」
という疑問です。
それについても、父と話したことがあります。
父は、笑いながら言いました。
「それはそれで、教育として成功だよ。
子供の頃からずっと継続して漫画に夢中になりつづけていたら、誰よりも漫画に精通することができるからね。
漫画家になるにせよ、漫画編集者になるにせよ、漫画の評論家になるにせよ、ひとかどの人物になれるはずだよ。
漫画の世界で成功できる、漫画のスペシャリストを育てたのだから、それはそれで大成功だよ」
二手先まで読んでいた……。
まったく、哲学者というのは……
頭、良すぎるだろ(笑
漫画が読めない子供が増えている?
いまどきの子供の場合は、漫画よりもゲームに夢中になるケースのほうが多いと思います。
そのため、漫画が読めない子供が増えていると言います。
ふだんからゲームやアニメなど、活字のないメディアにしかふれていないので、読解力が養われず、漫画すら読むことができないそうです。
かなり深刻ですね、それは……。
逆説的な言い方になりますが、父の考え方からすると、
「漫画などの本をむりに読ませようとするより、好きなだけ――満足するまで思う存分ゲームをやらせてあげたほうが良い」
ということになります。
- 最初はアクションゲームなど、反射神経だけで楽しめるものをやっていた
- 数多くやるうちに、それではものたりなくなり、もっとストーリー性のあるゲームを求めるようになる
- 徐々にストーリー性がより高いもの、さらに高度な物語を求めるようになる
- ゲームよりも物語としての完成度が高い漫画や小説を好むようになる
というプロセスへと導いてあげるほうが、ゲームをとりあげて本を与えるよりも、子供に優(やさ)しく、効果のでやすいやり方かもしれません。
仮に、本を読むようになる、というプロセスに移行しなかったとしても、子供の頃からゲームを思う存分やりつづけることで、ゲームやデジタル技術に精通したスペシャリスト(専門家)になる可能性が高いですしね。
子供が好きなことを、思う存分やらせてあげる――
それで子供の成長をうながせるのなら、それがいちばん良いやり方だと思います。
※哲学に関するほかのお話
※「本をたくさん読む」に関するほかのお話
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