前回、習慣を改善する技法(アファメーション)をご紹介しました。
※こちらをご参照ください
この「自制心のアファメーション」は、私が酒やたばこをやめるときに実践(じっせん)した技法です。
ですが、技法というものは、人によって「合う、合わない」があります。
私のときはうまくいった技法も、ほかの人には合わないことがあるんですね。
今回は、「自制心のアファメーション」を使っても習慣が改善できなかった、という人のために、べつの方法についてお話しします。
「習慣になっていることを、瞑想(めいそう)に変える」
という方法です。
習慣を瞑想に変える方法
禁酒、禁煙、ダイエット。
決意してはじめたものの、挫折して終わる――それをくり返している人も多いかと思います。
酒、たばこ、食べ過ぎ――
わるい習慣をやめようとがんばったのに、どうしてもうまくいかない……。
そういう場合は、「やめよう」という努力をいったんすててしまいましょう。
そして、その「わるい習慣」を、瞑想にしましょう。
ページ内目次
喫煙瞑想法
20世紀インドの神秘家、OSHO(オショー)という人物が、このような話をしています。
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ある男が私のもとへとやってきた
30年間というもの、彼はたばこをたてつづけに吸うことで苦しんできた
――<中略>――
彼はたずねた
「どうしたらいいのでしょう?
どうしたらたばこをやめられるのでしょう?」
私はこう答えた
「たばこをやめることなど誰にもできない
あなたは理解しなくてはならない、いまとなっては、たばこを吸うことはただの意思決定の問題ではなくなっている
――<中略>――
私たちはけっしてたばこを止めようとしているのではない
そうではなく、たばこを吸うことを理解しようとしているのだ
だから次には、それを瞑想にするがいい」
「たばこを吸うことの瞑想ですって?」と彼は言った
――<中略>――
私はその瞑想法を彼に与えた
私はこう話した
「ひとつこれをやってごらん
ポケットからたばこの箱を取りだすときに
ゆっくりと取りだすことだ
それを楽しむがいい
何もあわてることはない
意識的に目覚め、醒めて、十分に意識して
ゆっくりと取りだすがいい
それから、十分に意識して
その箱の中からゆっくりとたばこを取りだす――
昔ながらの性急な、無意識的な、機械的な取りだし方で取りだすのではない
それから箱の上でたばこをとんとんと軽く打ちならす
それもまったく油断なくだ
その音に耳傾けるがいい
ちょうど茶がまがことこと鳴りはじめ
お茶がぐつぐつ沸きたっているときに、禅の人々がやるようにだ
そして、その芳香……
そこでたばこの香りをかぎ、そのすばらしさを味わうがいい」
――<中略>――
「そうしたら、十分に意識してたばこを口にくわえ
十分に意識して火をつけなさい」
あらゆる行為、あらゆるささいな行為を楽しむがいい
その行為をできるだけ多くの小さな行為に分けてごらん
そうしたら、あなたはますます多くのことに気づくようになれる
「それから最初の一服をふかすがいい
煙の形をした〈神〉――
――<中略>――
そうしたら煙を吐き出し、くつろぎ、もう一服を吸い込む
きわめてゆっくりとやるがいい
それができたら、あなたはびっくりする
すぐにあなたはその愚かしさの全貌を見てとる
他人が愚かだと言ったからではなく
他人が良くないと言ったからではなく
あなた自身、それを見る
出典:『オレンジブック 和尚の瞑想テクニック』
OSHO:著
Swami Toshi Hiro:訳
めるくまーる(1984年)
(バグワンの喫煙瞑想法 より引用)
※ネット上で読みやすいように空白行を追加して体裁(文章の見た目)を変えています。
※傍点がついている部分は太字で拡張しています。
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OSHOに相談したこの人物は、教わった喫煙瞑想法を実践しました。
そして3ヶ月後には「たばこを吸うばかばかしさ」を自覚して、
「あれは落ちました(たばこはもうやめました)」
と、OSHOに報告しています。
神聖な儀式であるかのようにたばこを吸う
「たばこがやめられなくてこまっている」
という人がいると、私はこの喫煙瞑想法の話をします。
「とりあえず『やめよう』という努力や、『たばこは良くない』という考え方は忘れて、たばこを瞑想にしてみたら?」
そのように言うと、ほとんどの人が驚いて、私の話に食いついてきます(笑
「ひとつひとつの動作を、まるで『神聖な儀式』をおこなっているかのように、ゆっくりと、丁寧(ていねい)に、味わいながら、心を込めて吸う――それだけで、たばこを吸うことが瞑想になるんだよ。
いいから試してみなよ。『吸ってかまわない』と言ってるんだから、抵抗を感じることなんて何もないと思うけどな」
私のアドバイスに従って試した人たちは、やめるところまではいかなくても、一日に吸うたばこの本数が大幅に減りました。
そして、
「たばこを吸うことが楽しくなった」
と言っています。
意識的におこなうことで、すべてのことが瞑想になる
たばこをたくさん吸いすぎてしまうのは、無意識的に、機械的に吸っているために、たくさん吸っても吸った気がしなくて、満足感が得られないからなんですね。
ですが、意識的に、ゆっくり、味わいながら吸うと、「たばこを吸う」という行為に意識の焦点が合わさるため、少ない本数で満足できるようになります。
そしてこの瞑想法は、たばこ以外の習慣にも応用できます。
「酒を飲む」
「食べる」
それらを意識的に、丁寧に、まるで「神聖な儀式」であるかのように、心を込めておこなうことで、その行為が瞑想になります。
さらにこの技法は、日常のすべてを瞑想に変えることも可能です。
習慣になっていること――
無意識的にくり返していること――
日常のなかの当たり前の動作――
それらを意識的に、神聖な儀式であるかのように、心を込めておこなってみましょう。
そうすることで、日常生活を瞑想に変えることができます。
意識的な動作が瞑想になる理由
いままで習慣にしてきたことを、神聖な儀式であるかのように、意識的におこなう――
それがどうして瞑想になるのでしょう?
それは、ひとつひとつの動作を意識的におこなうことで、意識が「いま、ここ」に合わさるからです。
私たちは、日常のほとんどの時間、「いま、ここ」に意識がありません。
いまやっている動作については無意識にまかせっきりで、ほかのことを考えています。
習慣になっていることほど「行為」は無意識にまかせっきりで、自分(意識)はまったく関係のないことを考えています。
マインド(思考する心)に巻き込まれて、「いまやっていること」から意識がはなれているんですね。
それが、私たちの通常の意識状態です。
わるい習慣の場合は、それをやることに対する罪悪感や引け目を感じているので、意識が「いまやっていること」から逃げてしまいがちです。
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瞑想とは、「いま、ここに、意識がとどまっている精神状態」のことです。
日本では「瞑想」という言葉を聞くと、座禅のように座ったまま動かない姿をイメージする人が多いのですが、瞑想法はそれだけではありません。
瞑想には数多くの技法があります。
その目的は、瞑想特有の意識状態――いま、ここに意識がとどまっている精神状態をつくりだすことにあります。
逆を言えば、
「いま、ここに、意識を合わせることができたら、それが瞑想になる」
ということです。
意識的におこなうことで、どんな行為も瞑想になる――
それは、このような理由によるものです
継続によって瞑想の効果が実感できるようになる
「意識的におこなう瞑想法」を実践すると、行為のなかでリラックスできるようになってきます。
意識が「いま、ここ」に合わさることで無心(無思考)の状態になり、不安から解放されるからです。
※こちらをご参考ください
この瞑想法を継続すると、いま、ここにある素晴らしいものに、敏感に気づくことができるようになります。
あなたの人生に「安らぎ」と「喜び」が増えます。
あなたの目に、いままで見のがしてきたこの世界の美しいものが、たくさん映るようになるからです。
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