以前に運営していたサイトで、こんなことを書いたことがあります。
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小説においては「登場人物の名前の使い方」が、『キャラを立てるテクニック』として応用できたりするのですが――
それについては、またの機会に。
それについては、またの機会に。
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その後、そのテクニックのことを書かないまま、サイトを閉じることになりました(苦笑
※「キャラが立つ」とは、「キャラクター(登場人物)が個性的であり、魅力がある」という意味の言葉です。
というわけで今回は、
「名前でキャラを立たせる方法」
を、満を持して(?)ご紹介いたします。
名前で、登場人物のキャラを立たせる
日本語の文章では、
「名前の表記をくり返すのは好ましくない」
と考えられています。
小説にかぎらず、学校で書く作文や小論文においても、
「言葉を省略したり、代名詞を使うことで、名前を何度も表記するのをさける」
というのが「良い書き方」であるとされています。
たとえば、こんな文章があったとします。
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「いったいいつになったら『名前でキャラを立たせる方法』を教えてくれるのですか?」私はホンジョーを問いつめたが、ホンジョーは何も言葉を返さない。
ホンジョーのその態度から、ホンジョーはその方法を教えたくはないのだ、と私は感じた。
ホンジョーにとってそれは作家としての企業秘密であり、ホンジョー独自の技法なのだ。軽々しく教えることはできない、というのがホンジョーの本心なのであろう。
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こういう文章を書くと、
「ホンジョー、多いよ!」
という批評を受けることになります。
学校の作文や小論文でこういう文章を書いたら、国語の先生に叱責(しっせき)される可能性が大です。
なので、名前の表記(ホンジョー)は可能なかぎり少なくなるように、言葉をはぶいたり、代名詞を使って書くようにします。
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「いったいいつになったら『名前でキャラを立たせる方法』を教えてくれるのですか?」私はホンジョーを問いつめたが、彼は何も言葉を返さない。
その態度から、彼はその方法を教えたくはないのだ、と私は感じた。
それは作家としての企業秘密であり、彼独自の技法なのだ。軽々しく教えることはできない、というのが本心なのであろう。
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……これで、「ホンジョー」という表記がひとつになってスッキリしましたね。
こういう書き方が、日本語の文章では「良い」とされています。
これなら国語の先生にしかられることもないでしょう(笑
キャラをつくり込まなくても、キャラを立たせることはできる
現在、別サイトで『きみの微笑みが嬉しくて』という恋愛小説を公開しています。
※『きみの微笑みが嬉しくて』は中編のWEB小説です。『恋とは幸せなものなんだ』というサイトで公開しており、全編を無料で読むことができます。(広告の掲載有り)
→目次 『きみの微笑みが嬉しくて』
恋愛小説においては、ヒロインのキャラ立ちが不可欠なのですが……
『きみの微笑みが嬉しくて』のヒロイン、暮咲香苗(くれさき かなえ)は、地味で無口な女の子です。
台詞(せりふ)は少なく、登場するシーンもわずかです。
本来であれば、このような設定ではキャラを立たせることはできません。
なのに、なぜ地味で無口で目立たない女の子をヒロインにしたのか?
それは、キャラクターをつくり込まなくても、名前を使ってキャラを立たせることが可能だからです。
地味で目立たない女の子を、ヒロインとして成立させる
キャラを立たせるには、「ふつうとは異なる要素」を数多く設定しなければならない――
そのように考えている人がほとんどだと思います。
ですが、かならずしもそうではありません。
ふつうであっても、地味でぜんぜん目立たない女の子であっても、キャラを立たせることは可能です。
なぜなら、「キャラが立っている」と「存在感がある」は、おなじ意味だからです。
ですので、平凡な人物であれ、地味で無口な女の子であれ、作中での「存在感」をしっかり表現できたら、それによってキャラが立つんですね。
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というわけで――
『きみの微笑みが嬉しくて』では、地味で無口で登場回数の少ないヒロイン『暮咲香苗』の存在感をだすために、作中に「暮咲さん」という表記をたくさんいれました。
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でも、どういうわけか暮咲さんの手をはなすことができなくて、それで俺は、さらに弁解を重ねた。
「それに、こうしていれば暮咲さんを置いて先に歩いちゃったりとかしなくなるし……」
「それに、こうしていれば暮咲さんを置いて先に歩いちゃったりとかしなくなるし……」
暮咲さんは俺の顔を見つめたまま、何も応えない。
俺は動揺して、暮咲さんの手をはなそうとした。
でも、暮咲さんが俺の手をきゅっと握ったために、はなすことができなかった。
驚いて、暮咲さんの顔を見た。
暮咲さんが、こくん、とうなずいた。
……これって、手をつないだままでいいって意味だよな。
暮咲さんが、あらためて俺の顔を見つめてきた。
目が合った。
暮咲さんははにかんだ笑みを浮かべ、恥ずかしそうに顔を伏せた。
やっぱり手をつないだままでいいんだ。
そう確信した俺は、正面に向き直り、暮咲さんと手を握り合ったまま、ゆっくりと歩きはじめた。
※第三章 言葉なんてなくても より抜粋。
(「暮咲さん」の表記に色をつけて拡張しています)
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この作品は、主人公である誠一(せいいち)の、一人称一視点で描写しています。
そのため地の文(台詞以外の説明の部分)は、誠一のモノローグ(心のなかの声)のようなかたちで表現されています。
その部分(地の文=誠一の心の声)だけでも、300回以上「暮咲さん」という表記があります。
台詞もふくめた全編では、400回「暮咲さん」という表記があります。
中編の小説で、登場人物の名前がこれほど多く書かれているのは異例――というより「異常」と言えます。
ですが、これによって誠一がいつも「暮咲さん」のことを想っており、「暮咲さん」の存在が誠一にとってとても大きいということを表現できます。
存在感を読者に伝えることができたら、恋愛小説のヒロインとして成立します。
その存在感が、「愛(いと)しい人」としてのキャラクター性を際立(きわだ)たせるからです。
登場人物の「名前」と存在感の関係
文章のなかで名前を多く目にすると、その名前の人物の存在感や好感度がアップします。
名前が登場する回数と、存在感(好感度)は、ほぼ比例している
それが、小説における事実です。
ですので僕は、重要な役割をになう登場人物(キャラを立たせたい人物)に対しては、可能なかぎり代名詞を使わずに、名前で書くようにしています。
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もしかすると、
「おおげさに『テクニック』とか言っておきながら、そんな単純なことか」
と、拍子(ひょうし)ぬけした人もいるかもしれませんが……
じつはこのテクニック、実際に使いこなせている人はあまりいません。
その理由は、「名前の登場回数と存在感(好感度)が密接な関係にある」ということに気づいている作家が少ないからです。
僕の場合は、たまたま心理学に関する知識があったので、好運にも気づくことができました。
また、文章に精通している人ほど、
「名前による表記を少なくして、代名詞で書くのが良い文章」
という観念が潜在化しているので、気づいていたとしても、実際に文章で使うのは容易ではありません。
名前を頻繁(ひんぱん)に書く、という表現法は、
「文章が稚拙(ちせつ)」
「文章の基本がわかっていない」
と評されるリスクがあるからです。
書き手の目的によって「良くない書き方」が「秀逸な文章」になる
この記事のはじめのほうで、「わるい例」として挙げた文章――
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「いったいいつになったら『名前でキャラを立たせる方法』を教えてくれるのですか?」私はホンジョーを問いつめたが、ホンジョーは何も言葉を返さない。
ホンジョーのその態度から、ホンジョーはその方法を教えたくはないのだ、と私は感じた。
ホンジョーにとってそれは作家としての企業秘密であり、ホンジョー独自の技法なのだ。軽々しく教えることはできない、というのがホンジョーの本心なのであろう。
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これ、僕の観点で言うと、
「ホンジョーという存在(キャラクター)を1ページで印象づけるという目的で書いたのなら、秀逸(しゅういつ)な文章」
というふうに評価できます。
一般的に「良い書き方」とされている方法と正反対のことをするのでリスクはあるのですが、活字メディアである小説において、キャラを立たせるのにたいへん効果的なテクニックです。
キャラを立たせる方法のひとつとして参考になさってみてください。
※よろしければこちらの記事もご参考ください
→キャラクターのネーミング (本条克明の場合)
→相手の名前を呼ぶ、というコミュニケーション法
→小説のキャラクター(登場人物)を設定する (本条克明の小説作法3)
→ルビ(ふりがな)を付けるときは、業界の基本や慣習がある
→一人称形式(一人称一視点)で小説を書くメリット
→小説でモノローグを表現する
→文章のテクニック(ラベル)
→言葉の使い方(ラベル)
更新
2018年10月26日 リンクを追加。
2018年11月1日 表記揺れを訂正。
2018年11月2日 リンクを追加。