中立の視点と似た三人称小説の書き方に、「神の視点」と呼ばれているものがあります。
今回は、
「神の視点による描写のしかた」
について、お話しいたします。
神の視点で文章を書く
「神の視点」による描写のしかたは、中立の視点とほとんど一緒です。
※こちらをご参考ください
→「中立の視点」の書き方 三人称形式の基本は客観視点
ですが、決定的なちがいがあります。
中立の視点はカメラ視点であるため、「物語の世界のなか」にありながら登場人物や舞台などを描写していましたが、神の視点では「物語の外側」から物語世界を描写するため――
……って、こういう学術っぽい説明だとかえってわかりにくいですよね(苦笑
簡単に言ってしまうと、
「地の文において、何もかもを知っている立場から書くのが神の視点」
ということです。
ページ内目次
●一人称小説でも「神の視点」と同様の表現をする方法がある
・視点の特性を理解することが、視点を使いこなす秘訣
中立の視点は、「客観的な事実を書く」という書き方です。
映画やドラマで例えると「カメラ」の視点になります。
つまり、自分自身もその場にいながら「いまそこで起こっている出来事」を、客観的な立場(カメラ視点)で見つめ、それを言葉にして実況するんですね。
視点(カメラ)もそのシーンのなかにいますので、
そういったたぐいのことは一切(いっさい)わからない――という立場で書きます。
いっぽう、神の視点の場合は――
神のごとく何もかもを知っている立場で描写をしますので、その場にいる者には知り得ないようなことも書きあらわします。
とか、
といった表現は、典型的な「神の視点」です。
初心者の場合は、それが神の視点による表現だと気づかずに、神の視点で書いていることがよくあります。
本人は「中立の視点」で書いているつもりでも、
そういった表現を使ってしまうと、その時点で「神の視点」になります。
それは、物語の世界を「外側から見ている者」による表現だからです。
「中立の視点だろうが神の視点だろうが、ちがいなんてわずかなんだから、どっちだっていいんじゃないの?」
もしかするとそんなふうに思った人もいるかもしれませんが――
神の視点というのは、安易にもちいるべきではありません。
「知らないうちに神の視点になっていた」などということは、絶対にさけるべきです。
神の視点は、読者に敬遠されるリスクがあるからです。
神の視点は、「作家の視点」とも言われています。
そう、この場合の『神』というのは、その物語を書いている人物――すなわち「作家自身」のことなんですね。
物語の創作者である作家は、とうぜん何もかもを見透かしています。
作家はそのすべてを知っています。
ですので、神の視点で描写すると、
「作家の都合(つごう)で書いている」
と見なされてしまい、読者に興ざめされる可能性があるんですね(汗
本来、小説というのは、
つかのま、現実の世界をはなれて物語の当事者になる――
そんな夢のような時間をもてることが、物語のいちばんの魅力です。
ですが、
といったたぐいの表現がはいり込んできた瞬間に、視点が「物語の外側」にあることが発覚します。
それによって読者は「現実の世界」へとひきもどされてしまうんですね。
これって、物語の表現としてどう思います?
……まさにそれが、「神の視点」が賛否両論である理由なんですね。
ちなみに、僕も「神の視点」には否定的です。
よほどの理由がないかぎり、この視点は選ばないほうが賢明だと思っています。
「じゃあ、その『よほどの理由』ってなんだ?」
と思った人もいるかもしれませんが――
めったにないことですが、プロット(物語の構想)を練った時点で、
↓このように判断した場合です。
後者の、
「作中に読者をひきつける要素がほとんどない」
というのは、かなり深刻な理由ですよね(苦笑
物語にひきこむ要素が少ないので、
といったたぐいの表現を作中にいれ、つづきが気になるような書き方をするんですね。
要するに、
「この先の展開をほのめかすことで、『謎』の要素の代わりにしている」
ということです。
「作家自身がネタばらしをすることで、読者の気を引く」
というやり方ですので、ある意味、作家として反則行為です。
こういったことは、できるかぎりやらないほうが賢明ですよね、やっぱり。
※『謎』のつくり方については、こちらをご参考ください
→物語における『謎』のつくり方と、気をつけなければいけないこと
「神の視点」に対して否定的なことばかりを述べましたが――
小説には、神の視点がメジャーなジャンルもあります。
それは、歴史小説です。
歴史小説では、
「後世の歴史家(歴史研究者)の視点」
で書くことが一般化しており、読者もそれを承知しています。
「後世の歴史家(歴史研究者)」というのは、歴史小説家のこと――すなわち、その小説を書いている作家自身のことです。
なので、おもいっきり神の視点(作家の視点)で書くことができます。
歴史小説では、「後世の歴史家の視点」で書くため、
そのすべてを把握している立場から描写します。
逆に、神の視点(後世の人物の視点)で書くことによって、歴史小説らしさをだすこともできます。
たとえば、田中芳樹(たなか よしき)先生の『銀河英雄伝説』という作品はスペースオペラ(宇宙を舞台にしたSF)なのですが、歴史小説の手法が使われています。
そのため、
出典:『銀河英雄伝説(3) 雌伏篇』 田中芳樹:著 徳間書店・トクマノベルズ(1984年)
このように、「1ヶ月後に何が起こるのかを知っている者(後世の歴史家)」の視点による描写がおこなわれています。
こういう表現があると「歴史小説を読んでいるような感覚」になるので、架空の未来のはずなのに、まるで本当の歴史(現実に起こったこと)であるかのように感じて、物語の世界にひきこまれます。
神の視点には、こういう使い方もあるんですね。
「神の視点」は中立の視点とほとんどおなじものなので、客観視点が原則――だから、三人称形式でしか表現できない。
そのように思っている人もいるかもしれませんが、かならずしもそうではありません。
一人称小説でも「神の視点」とほぼ同様の表現をする方法があります。
それは、回想(かいそう)です。
回想というかたちだと、視点となっている人物(私)は「何もかもが終わったあと」の立場から語っているので、すべてを見透かしています。
そのため、
というような「神の視点」と同様の描写が可能になるんですね。
「神の視点」という表現法は、読者に敬遠されるリスクのある書き方です。
初心者の場合は、自覚がないまま「神の視点」で書いてしまい、作品の評価をさげることがあるので注意が必要です。
とはいえ、「神の視点」がわるいというわけではありません。
視点には、善し悪しなんてありません。
あるのはただ、
「その物語に合っているかどうか?」
ということだけです。
視点の特性をよく理解したうえで、あなたの物語に合った視点を慎重に選ぶように心がけましょう。
次のお話を読む
※視点に関するほかのお話
→三人称形式とは? いまさら人に聞けない小説の基本
→「中立の視点」の書き方 三人称形式の基本は客観視点
→三人称小説で、登場人物の視点で描写する方法
→「登場人物の視点」と「中立の視点」を組み合わせて書けるのが三人称形式
→三人称形式で、複数の登場人物の視点をあやつる
→「主人公ではなく、ほかの登場人物の視点で描写する」という小説表現法
→一人称形式(一人称一視点)で小説を書くメリット
※よろしければこちらもご参考ください
→小説における「プロット」とは?
→物語における『謎』のつくり方と、気をつけなければいけないこと
→文章の基本 (ラベル)
→文章のテクニック (ラベル)
→小説作法(小説の書き方) (ラベル)
更新
2018年12月1日、7日、14日 リンクを追加。
2019年1月26日 文章表現を一部改訂。
2020年1月3日 文章表現を一部改訂。
・視点の特性を理解することが、視点を使いこなす秘訣
神の視点では、語り手は何もかもを見透かしている
中立の視点は、「客観的な事実を書く」という書き方です。
映画やドラマで例えると「カメラ」の視点になります。
つまり、自分自身もその場にいながら「いまそこで起こっている出来事」を、客観的な立場(カメラ視点)で見つめ、それを言葉にして実況するんですね。
視点(カメラ)もそのシーンのなかにいますので、
おなじ時間にほかの場所で起こっていること
その後どのような展開になるのか
その後どのような展開になるのか
そういったたぐいのことは一切(いっさい)わからない――という立場で書きます。
いっぽう、神の視点の場合は――
神のごとく何もかもを知っている立場で描写をしますので、その場にいる者には知り得ないようなことも書きあらわします。
遠くはなれたアメリカの地で打倒ホンジョーの動きが急加速していることを、このときホンジョーはまだ知らずにいた。
とか、
軽い気持ちでくだしたその決断が、のちにとんでもない事件に発展することを、ホンジョーは知るよしもなかった。
といった表現は、典型的な「神の視点」です。
初心者の場合は、それが神の視点による表現だと気づかずに、神の視点で書いていることがよくあります。
本人は「中立の視点」で書いているつもりでも、
知るよしもなかった
このときはまだ知らずにいた
このときはまだ知らずにいた
そういった表現を使ってしまうと、その時点で「神の視点」になります。
それは、物語の世界を「外側から見ている者」による表現だからです。
*
「中立の視点だろうが神の視点だろうが、ちがいなんてわずかなんだから、どっちだっていいんじゃないの?」
もしかするとそんなふうに思った人もいるかもしれませんが――
神の視点というのは、安易にもちいるべきではありません。
「知らないうちに神の視点になっていた」などということは、絶対にさけるべきです。
神の視点は、読者に敬遠されるリスクがあるからです。
「神の視点」は賛否両論
神の視点は、「作家の視点」とも言われています。
そう、この場合の『神』というのは、その物語を書いている人物――すなわち「作家自身」のことなんですね。
物語の創作者である作家は、とうぜん何もかもを見透かしています。
その場所とちがうところで、いま、何が起こっているのか
その後、どのような展開になるのか
その後、どのような展開になるのか
作家はそのすべてを知っています。
ですので、神の視点で描写すると、
「作家の都合(つごう)で書いている」
と見なされてしまい、読者に興ざめされる可能性があるんですね(汗
*
本来、小説というのは、
風景や場面をイメージしたり――
登場人物に共感したり――
登場人物に共感したり――
そうやって「物語の世界」にはいっていくことが最大の楽しみであるはずです。
つかのま、現実の世界をはなれて物語の当事者になる――
そんな夢のような時間をもてることが、物語のいちばんの魅力です。
ですが、
このとき彼はまだ知るよしもなかった。
といったたぐいの表現がはいり込んできた瞬間に、視点が「物語の外側」にあることが発覚します。
それによって読者は「現実の世界」へとひきもどされてしまうんですね。
これって、物語の表現としてどう思います?
……まさにそれが、「神の視点」が賛否両論である理由なんですね。
「神の視点」を選択するとき(本条克明の場合)
ちなみに、僕も「神の視点」には否定的です。
よほどの理由がないかぎり、この視点は選ばないほうが賢明だと思っています。
「じゃあ、その『よほどの理由』ってなんだ?」
と思った人もいるかもしれませんが――
めったにないことですが、プロット(物語の構想)を練った時点で、
↓このように判断した場合です。
- この作品に関しては、「物語の書き方」で書くより、「お話を語る」という趣(おもむき)で書いたほうが適している
- 作中に『謎』などの読者をひきつける要素がほとんどない
後者の、
「作中に読者をひきつける要素がほとんどない」
というのは、かなり深刻な理由ですよね(苦笑
物語にひきこむ要素が少ないので、
このあととんでもない大事件が起こることを、彼は知るよしもないのだった。
といったたぐいの表現を作中にいれ、つづきが気になるような書き方をするんですね。
要するに、
「この先の展開をほのめかすことで、『謎』の要素の代わりにしている」
ということです。
「作家自身がネタばらしをすることで、読者の気を引く」
というやり方ですので、ある意味、作家として反則行為です。
こういったことは、できるかぎりやらないほうが賢明ですよね、やっぱり。
※『謎』のつくり方については、こちらをご参考ください
→物語における『謎』のつくり方と、気をつけなければいけないこと
「神の視点」で書くのが一般的なジャンルもある
「神の視点」に対して否定的なことばかりを述べましたが――
小説には、神の視点がメジャーなジャンルもあります。
それは、歴史小説です。
歴史小説では、
「後世の歴史家(歴史研究者)の視点」
で書くことが一般化しており、読者もそれを承知しています。
「後世の歴史家(歴史研究者)」というのは、歴史小説家のこと――すなわち、その小説を書いている作家自身のことです。
なので、おもいっきり神の視点(作家の視点)で書くことができます。
歴史小説では、「後世の歴史家の視点」で書くため、
そのとき、別の場所では何が起こっているのか――
その後、どのような出来事(できごと)が起こるのか――
その後、どのような出来事(できごと)が起こるのか――
そのすべてを把握している立場から描写します。
逆に、神の視点(後世の人物の視点)で書くことによって、歴史小説らしさをだすこともできます。
たとえば、田中芳樹(たなか よしき)先生の『銀河英雄伝説』という作品はスペースオペラ(宇宙を舞台にしたSF)なのですが、歴史小説の手法が使われています。
そのため、
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……宇宙歴七九八年、帝国歴四八九年は、まだその前半を終えただけである。銀河帝国と自由惑星同盟の双方を驚愕させる事件が発生するまで、なお一ヶ月を必要とした。
出典:『銀河英雄伝説(3) 雌伏篇』 田中芳樹:著 徳間書店・トクマノベルズ(1984年)
************
このように、「1ヶ月後に何が起こるのかを知っている者(後世の歴史家)」の視点による描写がおこなわれています。
こういう表現があると「歴史小説を読んでいるような感覚」になるので、架空の未来のはずなのに、まるで本当の歴史(現実に起こったこと)であるかのように感じて、物語の世界にひきこまれます。
神の視点には、こういう使い方もあるんですね。
一人称小説でも「神の視点」と同様の表現をする方法がある
「神の視点」は中立の視点とほとんどおなじものなので、客観視点が原則――だから、三人称形式でしか表現できない。
そのように思っている人もいるかもしれませんが、かならずしもそうではありません。
一人称小説でも「神の視点」とほぼ同様の表現をする方法があります。
それは、回想(かいそう)です。
回想というかたちだと、視点となっている人物(私)は「何もかもが終わったあと」の立場から語っているので、すべてを見透かしています。
そのため、
その判断がのちに大問題に発展することを、このときの私は知るよしもないのだった。
というような「神の視点」と同様の描写が可能になるんですね。
視点の特性を理解することが、視点を使いこなす秘訣
「神の視点」という表現法は、読者に敬遠されるリスクのある書き方です。
初心者の場合は、自覚がないまま「神の視点」で書いてしまい、作品の評価をさげることがあるので注意が必要です。
とはいえ、「神の視点」がわるいというわけではありません。
視点には、善し悪しなんてありません。
あるのはただ、
「その物語に合っているかどうか?」
ということだけです。
視点の特性をよく理解したうえで、あなたの物語に合った視点を慎重に選ぶように心がけましょう。
次のお話を読む
※視点に関するほかのお話
→三人称形式とは? いまさら人に聞けない小説の基本
→「中立の視点」の書き方 三人称形式の基本は客観視点
→三人称小説で、登場人物の視点で描写する方法
→「登場人物の視点」と「中立の視点」を組み合わせて書けるのが三人称形式
→三人称形式で、複数の登場人物の視点をあやつる
→「主人公ではなく、ほかの登場人物の視点で描写する」という小説表現法
→一人称形式(一人称一視点)で小説を書くメリット
※よろしければこちらもご参考ください
→小説における「プロット」とは?
→物語における『謎』のつくり方と、気をつけなければいけないこと
→文章の基本 (ラベル)
→文章のテクニック (ラベル)
→小説作法(小説の書き方) (ラベル)
更新
2018年12月1日、7日、14日 リンクを追加。
2019年1月26日 文章表現を一部改訂。
2020年1月3日 文章表現を一部改訂。
2024年7月21日 ページ内目次を追加。
2024年7月26日 ページ内目次の誤植を訂正。