今回は「視点」に関するお話の最終回として、
「複数の登場人物の視点をあやつる方法」
について、お話しいたします。
登場人物の視点を切り替えて描写できるのが三人称形式
三人称形式では視点が固定されていないため、視点を切り替えて描写することが可能です。
これは三人称形式の最大のメリット(利点)なのですが、初心者の場合はこのメリットのために失敗してしまうことがあります。
つまり、
「視点がブレすぎてしまう」
ということです。
ページ内目次
視点がブレると作品の評価がさがる
たとえば、
↓作中にこんなシーンがあったとします。
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「もしや、ブンショーさんではありませんか?」
背後から声をかけられ、ブンショーは後ろを振り返った。
声の主(ぬし)は、ジクウだった。
「ジクウさん! どうしてこの支社に!?」
目を見ひらいて驚きをあらわにしているブンショーに尋ねられ、ジクウはどこから話したものかと思案にふけった。
背後から声をかけられ、ブンショーは後ろを振り返った。
声の主(ぬし)は、ジクウだった。
「ジクウさん! どうしてこの支社に!?」
目を見ひらいて驚きをあらわにしているブンショーに尋ねられ、ジクウはどこから話したものかと思案にふけった。
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……なんとも不自然というか、違和感のある文章ですよね。
このシーンは、
背後から声をかけられ
という受け身の表現により、「ブンショー」の視点でスタートしています。
ところが、そのすぐあとに、
ブンショーに尋ねられ
という逆サイドの受け身が使われており、「ジクウ」の視点になっています。
こんなふうに視点が節度なく移動すること――それが、「視点がブレる」という現象です。
*
視点がブレると、読者は混乱します。
どの登場人物に感情移入すればいいのか――
作者はこのシーンで何を表現しようとしているのか――
作者はこのシーンで何を表現しようとしているのか――
そういったことが文章から伝わってこないからです。
三人称小説では、視点がブレないように細心の注意を払わなければいけないんですね。
「1シーン、1視点」が、もっとも成功しやすい視点の使い方
三人称形式では、
「1シーン、1視点」
が基本です。
「1シーン、1視点」の原則を守っていれば、視点で失敗することはありません。
もっとも成功しやすい方法であり、多くの作家が「1シーン、1視点」で三人称小説を書いています。
「1シーン、1視点」というのは、
「いちど誰かの視点で書きはじめたら、シーンが切り替わるまではその登場人物の視点で書く」
という描写法のことです。
ただし、中立の視点(もしくは神の視点)の場合は例外です。
三人称形式では「登場人物の視点」で描写しているシーンでも、「中立の視点」と組み合わせて書くことができます。
※詳しくはこちらをご参考ください
→「登場人物の視点」と「中立の視点」を組み合わせて書けるのが三人称形式
*
シーンの区切り方は、節(せつ)や空白行を使うのが一般的です。
シーンはそれぞれ1視点が基本です。
僕の場合は、プロットを作成した段階で「このシーンは誰の視点で描写するのか」を決めてあります。
僕の場合は、プロットを作成した段階で「このシーンは誰の視点で描写するのか」を決めてあります。
※こちらをご参考ください
→小説のプロットを仕上げる (本条克明の小説作法4)
いちばん多いのは、
《中立の視点+○○の視点》
といった感じで、「登場人物の視点」と「中立の視点」を組み合わせたかたちですね。
僕の場合は、この組み合わせも1視点と見なしています。
シーンによって、
- 登場人物の視点(誰かひとりの視点に徹底し、中立の視点をいれない)
- 中立の視点(人物の視点をいれずに、客観的事実の描写に徹底)
という1視点を選ぶこともあります。
*
「1シーン1視点というやり方だと、ひとつのシーンで複数の人物の心理を描写したいときは、表現できないんじゃないのか?」
そのように思った人もいるかもしれませんが――
そういう場合も、空白行などを使い、人物ごとに区切って表現します。
※『スピードでパワーファイターに勝つ』の原稿
(↓のところが空白行による区切り)
※『スピードでパワーファイターに勝つ』は長編ボクシング小説です。WEB小説として『月尾ボクシングジム物語』というサイトで公開しています。
→目次 『スピードでパワーファイターに勝つ』
この部分は、スパーリングのインターバル(1分間の休憩)のシーンなのですが、
赤コーナー側(片倉会長視点)
青コーナー側(滝本トレーナー視点)
リングサイド(星乃塚視点)
青コーナー側(滝本トレーナー視点)
リングサイド(星乃塚視点)
というふうに、空白行で区切って表現しています。
※登場人物の視点に一部「中立の視点」を組み合わせて書いています。
この3つの視点は、それぞれおなじ時間(1分間のインターバル)に起こっていることを描写しています。
映画やドラマなどのカメラワークでも、「カメラ位置を切り替えて、それぞれの対象を描写する」という方法をたびたび使っていますね。
それと同様のやり方です。
おなじ場面(おなじ時間)の描写だけれども、人物の視点を変えて描写する場合は、それぞれ単独のシーンにして表現する――
僕の場合は、そのようにして表現しています。
シーンを分けずに、登場人物の視点を切り替える方法
「空白行で区切って文章をブツ切りにするような書き方は、できればやりたくないんだけどなぁ……」
なかには、そのように思った人もいるかもしれませんが――
その場合は「神の視点」や「中立の視点」を活用して書くというやり方があります。
*
神視点を使って、人物の視点を切り替える
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ジクウから話を聞いたブンショーは、事の経緯(いきさつ)を理解した。
なるほど、要するに本社は私たちのことを監視するためにジクウ氏をここへ送ったってわけか……。
いっぽうジクウはといえば、自分の存在が煙たがられているなどとは夢にも思っていない。
ブンショーさんと一緒に仕事をするのは3年ぶりだ。またあの頃のように力をあわせて目標を達成できたらいいな――
ジクウは期待で胸がふくらんでいた。
なるほど、要するに本社は私たちのことを監視するためにジクウ氏をここへ送ったってわけか……。
いっぽうジクウはといえば、自分の存在が煙たがられているなどとは夢にも思っていない。
ブンショーさんと一緒に仕事をするのは3年ぶりだ。またあの頃のように力をあわせて目標を達成できたらいいな――
ジクウは期待で胸がふくらんでいた。
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このシーンは「ブンショー」の視点で書きはじめていますが、
いっぽうジクウはといえば
という神の視点による描写を使って、「ジクウ」に焦点を切り替えています。
神の視点では、語り手(作者)は何もかもを見透かしています。
とうぜん、ほかの登場人物の心理もわかっていますので、「ブンショー」の視点から、いきなり「ジクウ」の心理について語りだすことができます。
神の視点を使って「ジクウ」に焦点を切り替えたのちは、「ジクウ」の視点で描写することが可能になります。
神の視点は、すべての登場人物の心理や思惑(おもわく)を見透かしていますので、いつでもほかの登場人物について描写することができます。
ですので、神の視点を使えば、空白行などでシーンを区切らなくても、視点をそのまま切り替えて書くことが可能なんですね。
ただ、「神の視点」というのは読者に敬遠されるリスクのある書き方ですので、安易にこのやり方を選択することはお勧めできません。
※「神の視点」については、こちらをご参考ください
→「神の視点」という小説の表現法
*
中立視点を使って、人物の視点を切り替える
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ジクウから話を聞いたブンショーは、事の経緯を理解した。
なるほど、要するに本社は私たちのことを監視するためにジクウ氏をここへ送ったってわけか……。
ブンショーの顔に苦笑が浮かぶ。
対照的に、ジクウの顔にはうれしそうな笑みがこぼれていた。
ブンショーさんと一緒に仕事をするのは3年ぶりだ。またあの頃のように力をあわせて目標を達成できたらいいな――
ジクウは期待で胸がふくらんでいた。
なるほど、要するに本社は私たちのことを監視するためにジクウ氏をここへ送ったってわけか……。
ブンショーの顔に苦笑が浮かぶ。
対照的に、ジクウの顔にはうれしそうな笑みがこぼれていた。
ブンショーさんと一緒に仕事をするのは3年ぶりだ。またあの頃のように力をあわせて目標を達成できたらいいな――
ジクウは期待で胸がふくらんでいた。
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このシーンも「ブンショー」の視点ではじめていますが、
ブンショーの顔に苦笑が浮かぶ。
対照的に、ジクウの顔にはうれしそうな笑みがこぼれていた。
対照的に、ジクウの顔にはうれしそうな笑みがこぼれていた。
という中立の視点(カメラ視点)による描写で、「ブンショー」から「ジクウ」に焦点を切り替えています。
中立の視点を使って「ジクウ」に焦点を切り替えたのちは、「ジクウ」の視点で描写することができます。
このようなやり方が、シーンを分けずに視点を切り替える方法としては一般的なのですが……
この手法、かなりむずかしいです。
中立の視点(カメラ視点)で焦点を切り替える描写がうまくできていないと、不自然な文章になる可能性が高いからです。
結果として、読者は「視点がブレている」と感じることになります。
三人称形式の文章(客観視点の描写)に絶対的な自信をもっている人や、高度なカメラワークのセンスをもっている人以外には、このやり方はあまりお勧めできません。
「1シーン、1視点」は読者にわかりやすい書き方
僕としては、やはり「1シーン、1視点」の原則を守って書くことがいちばんお勧めです。
読者は、
「いちど誰かの視点で描写されたら、シーンが切り替わるまではその人物の視点で書かれている」
と、直感的に判断しています。
ですので、
「ひとつのシーンを、ひとりの視点で書く」
というやり方は、読者にとってわかりやすい描写のしかたであると言えるんですね。
「中立の視点」を使わずに三人称小説を書く方法
余談になりますが――
以前のお話(「中立の視点」の書き方 三人称形式の基本は客観視点)のなかで、
じつを言うと、中立の視点を使わなくても三人称形式で書く方法はあるのですが……
ということを書いています。
言いかけたまま終わらせるとモヤモヤするので、
「中立の視点を使わずに三人称形式で書く方法」
についても、お話しいたします(笑
*
結論から言ってしまうと、
「すべてのシーンを、登場人物の視点で書く」
という方法です。
すべてのシーンに、視点となる登場人物を割り当てます。
割り当てたら、そのシーンはその登場人物の視点に徹して書きます。
中立の視点(もしくは神の視点)は、使いません。
一人称形式で書いた場合の一人称(私)が登場人物の名前にかわっているだけで、それ以外は一人称形式とおなじ書き方で描写します。
すべてのシーンが、ひとりの登場人物に完全固定された書き方です。
この方法は、一人称小説を書きなれている人が三人称小説を書くときに、一人称小説で培(つちか)った文章力をそのまま活用することができます。
この書き方には、
「視点となっている人物の姿が描写できない」
という一人称形式とおなじデメリット(弱点)があります。
ですが、
「登場人物に共感しやすい(登場人物と同化したような気持ちになって読める)」
という一人称形式と同様のメリットがあります。
さらに、
「状況(シーン)に応じて、視点となる人物を切り替えることができる」
という三人称形式ならではのメリットもあります。
あまりメジャーな手法ではありませんが、一人称小説を書くスキル(技能)を身につけている人にはお勧めの表現法です。
視点に対する意識が高くなると、あなたの小説のクオリティがアップする
「視点」に関するお話は、これで終了です。
一連のお話を読んで、
「視点」の何が問題なのか
どこに注意し、何を工夫したらいいのか
どこに注意し、何を工夫したらいいのか
そういったことが理解できたと思います。
「視点」に対する意識が高まると、あなたの小説のクオリティが変わります。
もちろん、良いほうにです。
あなたの物語が、より完成度の高い、魅力的な小説に仕上がります。
※視点に関するほかのお話
→三人称形式とは? いまさら人に聞けない小説の基本
→「中立の視点」の書き方 三人称形式の基本は客観視点
→「神の視点」という小説の表現法
→三人称小説で、登場人物の視点で描写する方法
→「登場人物の視点」と「中立の視点」を組み合わせて書けるのが三人称形式
→「主人公ではなく、ほかの登場人物の視点で描写する」という小説表現法
→一人称形式(一人称一視点)で小説を書くメリット
※よろしければこちらもご参考ください
→小説のプロットを仕上げる (本条克明の小説作法4)
→文章のテクニック (ラベル)
→小説作法(小説の書き方) (ラベル)
更新
2018年12月17日、18日 文章表現を一部改訂。
2019年8月3日 見出しのサイズを一ヶ所変更。
2024年7月21日 ページ内目次を追加。